平成二十六年師走十五日発行
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撣亳 田中正明 先生
一、我日本の伝統と文化を護り、我「國體」を
護持せよ。
ニ、我国内外に蠢く反日反動勢力を打倒せよ。
三、諸々の逆差別・特権要求勢力を粉砕せよ。
四、『一日一動』天下・民族の為に、一日一回
は活動せよ。
五、大東亜戦争未だ敗れず、諸卿、東亜諸民族
と共に皇道を邁進せん。
【年頭の辞】
皇紀二千六百七十五年、平成二十七年、陽暦歳旦を迎え、同憂同志諸卿に対し、日常のご厚
遇 ご支援を深謝し、併せて、皇國の再興と民族独立、滅亡しつつ存る人類の救済と存続への
活動継続を闡明す。
元旦、國旗掲揚、東方皇居並びに武蔵野の陵に対し奉り遥拝し、聖浄なる想念に浸る。
屋内に入りて、寓居窓を通し、旭光を拝す。三日連続なり。有り難き哉。
とりわけて、二日、三日は珍しき白世界の朝。人為、自然の総てが真白く純化され、音響一
つ無し。
洛南、男山に旭日出でまして旭光新雪を照射す。清澄の正気は慄然として、冠雪の草木花実
は燦然と輝く。
雪中より水仙は屹立し、山茶花は濃桃の花弁を顕わす。訪れし野鳥各種、停り木を探し、陽
光上がるにつれ、桃の細枝より積雪の細雪と成りて地に帰るも、いとをかし。梅の古木、雪
を抱きて時ならぬ真白き華を咲かせるも、さらなり。柑橘、南天の実は白雪を乗せ、水色の
空に遊ぶ。
寓庭の天然の美は、皇國大地自然の縮図、縮景なり。全国至る処に山紫水明の皇土在り。
翻って、現下「偽日本」を俯観するに、皇國の真姿、幻夢の如く、亡国、民族滅亡の危機、
旦夕に迫る。
反日連合国占領以来、外夷、国賊、逆族、反日勢力、横行支配を重ね、淳朴なる日本人大衆
を洗脳、劣化、堕落、弱体化、幼稚化せしめ、多くの大衆は、金満、肥満、低能、苛められ
っ子の地位を強制され、国内外の反日勢力より、強請、集り、恐喝、強盗、家宅侵入の被害
を受けつつ、泣き寝入りを決め込めり。
然れども、皇國本然の國體は厳然として変わらず、吾等、守護し奉りて、依然護持されつつ
存り。
此処十数歳、不十分乍も反日、売国勢力の支配体制、脆弱化し、七十年前には及ばざるも、
昭和五十代程度迄には回帰すと見做せり。宮城参賀、靖国神社参拝、伊勢神宮参拝等々の国
民は急増し、反日諸国への国民感情の悪化は、「普通の国」としての「常識」を認識、獲得
しつつ有る証明なりと認む。
朝日でさえ、事実上、反日捏造を認め、日放協は従来画面から意図的に消して居た「日章
旗」を、自然に放映し、同じく消して居た「万歳」の声を、抑制的にでは在るが、流す様に
改善されて居る。他のマス・メディア、又、同様に好転す。斯くの如き潮流、当分の間、継
続すとの予測、何人も否定出来ず。
世界大乱、戦国動乱の中に在って、本年も皇道を宣布しつつ、皇國再興、皇軍再建に挺身、
邁進せん。
皇紀二千六百七十五年 平成二十七年 陽暦 歳旦
國體護持圑體 一日会 主宰 中山 嶺雄
【大西亜戦争の多様化】
ー「一神教」相撃への正しい認識をー
中山 嶺雄
「大西亜戦争」の概念規定
ー西欧米「民主衆愚主義」への反撃ー
以前から「大西亜戦争」なる世界史的用語を連発して来たが、今もって一般化はして居ない。
だが、愚生は敢えて使用、表現し続ける。
反日連合国が「大東亜戦争」の表記を嫌って「太平洋戦争」なる有りもしなかった歴史用語
を捏造、強要した様に、西欧米諸国は、自国の「民主主義」的価値観と異質な価値観に起因
する社会的行為、現象の正統性を決して承認しない。
だが、ここ二百余年の命脈しか有さぬ「民主主義」なる思想概念、より正確には宗教概念に
「普遍性」は無く、悠久の人類史の中では、極く限られた一時期の徒花でしか無いので有る。
「民主主義とは何か」との解説書は従来から数百、数千冊も著わされて来た。その起源は、
米国の対英独立、仏国革命頃から流布、喧伝されて来た既存秩序破壊の論理で存ったが、そ
の解釈には千差万別の乖離が有る。
「民主主義」の守護者を自認する米国以上に、「国号」に迄「民主」を冠した「朝鮮民主主
義人民共和国」は、民主主義国家では無いのか。
北朝鮮の「民主」は、その支配者たる旧蘇連が、自国支配の正統性を国際的に喧伝する為に
策定した戦略的用語に過ぎず、「モンゴル人民民主主義共和国」と同様の「人民民主主義」
諸国、即ち、蘇連の所謂「衛星国」で通用した「民主主義」で在る。
だが、それも「民主主義」には違いない。
要は、民主主義の本家争い、正統性を巡る対立が世界で展開されて居るので存る。
世界の両極端に位置する米国と北朝鮮の双方が「民主主義」を呼号する事自体、「民主主
義」なるものの如何わしさを露呈して居る。
後に述べる様に、「一神教」の一つとしての「民主教」の本家争いに過ぎないので存る。
第二次世界大戦を「ファシズム対民主主義の戦い」等と規定した連合国の歴史捏造宣伝は、
その後「蘇連型民主主義」の弱体化に因って「西欧米型民主主義」を唯一の民主主義と見做
す様に成って来た。
その、人類の社会性を否定する反人類的「民主主義国」に対して、人類正義の戦争を発動し
たのが、ファシズムに非ざる我皇國日本で存った。
我國と米英蘇との戦いには、「欧米物質文明」対「非欧米精神文化」の対立が存在して居た。
そして、我國の戦争目的の一つが東亜の欧米植民地解放、独立で有ったが故に、祖国防衛の
「聖戦」で存ると同時に、「義戦」でも存ったと断定出来る。
その「非欧米」「非西欧米」の価値観は、我國の「滅私奉公」の精神を鑑として、全世界に
拡散し、欧米クリスト教諸国から虐げられて来た「非欧米」諸国、諸地域にも伝播した。
その一例が「イスラーム教」諸国、諸勢力の勃興、興隆、活動で存る。
現下の世界は「イスラーム」に振り回されて居るかにも見える。確かに「西欧米」諸国は問
題の本質を理解せずに右往左往して居る。
だが、今も猶「大東亜戦争」を戦い続けて居る吾等真正日本人には、「イスラーム」の「欧
米」に対する「大西亜戦争」の原因と構図、展開が手に取る様に鮮明に映る。
即ち、現在展開中の全く乱雑、無統制に発生して居る西南アジアやアラブ諸国での混乱、戦
乱等々は、欧米、取分け西欧米的価値観、生活様式に対するイスラームの「聖戦(ジハード
)」で有り、総称すれば「大西亜戦争」と見做す事が出来る。
以前、愚生は、平成三年の米国に拠る所謂「湾岸戦争」即「第一次イラク侵略」を「大西亜
戦争」の端緒と見做して居たが、現在では、昭和五十四年の「イラン・イスラーム革命」に
迄、その開始時期を遡及させて居る。
昭和四十八年の「石油危機」は、主としてアラブ産油国の経済的利害が動因で存ったが、イ
ラン革命は、純粋に宗教的、思想的、価値観的要因に起因するもので存った。
それ迄の「バーレビ=シャー(皇帝)」
の西欧米的「親米政権」に対して、ア
ヤトラたるホメイニ師のイスラーム反
西欧米政権が樹立されたので存る。
イラン民衆に大使館を占拠されて館
員を人質にされた米国は、館員救出
作戦に失敗し、止むなくイスラーム、
スンナ派のサッダーム・ フセイン・イ
ラク大統領にシーア派のイランを攻撃
させた。
その後、八年間に及ぶ、イラン・イラク
両国に百数十万人を有に超える死傷者を
出した所謂「イラ・イラ戦争」は、イランのイスラーム革命を潰す為の代理戦争で存った。
だが、皮肉にも米国に恩を売った筈のフセインも、米国「民主教・教条主義派」に「独裁
者」との烙印を押され、二度に渡る侵略を受け、絞首台で首を断裂されてしまったので在
る。
最終的には、フセインも、アフガンのタリバーンやイランの革命防衛隊と同様に「反米」で
存り、「反西欧」で存った。
イスラーム教の内部対立、内部矛盾は厳然として存在し、現状認識を困難にしては居るが、
基調として底流に流れて居る「反西欧米」の価値観を判断の基準に据えれば、現状への疑問
は立ち所に氷解するので有る。
「イスラーム国」の勃興
ー「イスラーム」復古維新の潮流ー
本年、西南アジアで最大の関心を集めたのは、「イスラーム国」の建国宣言で有った。
イラク第二の都市モスルを占領支配して、バグダディ率いる「カリフ制」の復活を呼号した
スンナ派勢力は、急速に支配地域を拡大させ、新イスラーム国家建設に邁進して居る。
イラク東北部を事実上支配して居るクルド民族は、イラク、シーア派政権からの十分な重火
器の提供を受けられず、その軍事組織「ペシュメルガ」は苦戦を強いられ、イラク政府軍も
敗退を続けて居る。
「イスラーム国」の主体で存るスンナ派は、イラクでは人口の二割程度の少数派と見做さ
れ、世界八十ヶ国から志願した兵員も一万五千人と推測されて然程強大な軍事力では無い。
皇軍の戦時編成の一個師団兵力が二万人強で在った事から判断しても、同国の軍事力が、周
辺諸国の正規軍に立ち打ち可能の段階に迄は達して居ないと見るべきであろう。
だが、「イスラーム国」は前進して居る。
その原因は、敵が弱過ぎるからで有る。
前述のクルド国軍たる「ペシュメルガ」は、彼等の分離独立を恐れるイラク政府から差別的
な扱いを受け、十分な戦力を発揮出来ない。肝心の「イラク政府軍」自身が、米国から十分
な装備等の支給を受けては居ない。
嘗て、所謂「ヴェトナム戦争」末期、米国は南ヴェトナム政府軍に大量の武器、弾薬、装備
品を与えたが、同政府軍は、昭和五十年に入り、北に敗れて、それ等の軍需物資はヴェトナ
ムの保有する事態に至った。
その四年後に、中共は「懲罰」名目で所謂、「中越戦争」を侵したが、実際に「懲罰」され
たのは「中共」の方で在った。
米国製の武器を駆使したヴェトナム軍は、中共軍を領域内部に引き込んで壊滅的な打撃を与
えたので有る。
この教訓は、米国をして軍事援助の困難さを痛感させた。フセイン亡きイラクの実質的な支
配者は米国で有り、その傀儡は「マリキ・シーア派政権」で有った。本年、米国が強引にマ
リキ降ろしを行なったが、政権の本質は変わっては居ない。
即ち、現イラク政権も「シーア派」なので存る。米国が打倒に躍起に成って居るシリアのア
サド政権も、世界に冠たる反米国家、イランも同じ「シーア派」で存る。
イラク・シーア派政権に高度な兵器を与えれば、一旦シーア派が連携して反米、反イスラエ
ルの軍事行動を採った時に、重大な危険性を齎す。故に、米国はイラク傀儡政府軍に対して
危険で無い範囲での軍事的支援しか与えない。
つまり、米国は現在のイラク政権及び軍を全く信用しては居ないので有る。そして、その傾
向はイラク軍将兵自身が、知悉して居る。
其故に、彼等は、事実上の雇用主で有る米国から給与等の生活費を取得する為に、適当に勤
務して居るだけで有り、「国の為」との意識は希薄で有って、命懸けの戦闘を希望する者等
は殆ど居ない。
軍、治安部隊を含めて数十万人の寄せ集めの集団の目的は、「生活費稼ぎ」で存って、高邁
な理想や理念等は枯渇して居る。
対する「イスラーム国」は、イスラーム
教の思想、理念に従って、命懸けで「聖
戦」を戦っているので有る。死を怖れ
ず、寧ろ「殉教」を喜びとするイスラー
ム国の戦士達は、弱体なイラク軍やシリ
ア反体制派軍が立ち向かえる相手では無
い。
現在、西南アジアの情勢の多くが、西欧
米の情報通信を通じて日本に齎される為
に、所謂「色眼鏡」を通した認識しか出来ない。
曰く、「ナイフで人質を殺害」「イラク軍、シリア軍捕虜を大量処刑」「女子供でも平気に
殺害」等々、確かに吾等、日本民族から見れば野蛮、残虐な許すべからざる蛮行で有る。
だが、米国や西欧諸国がそれを非難出来るのか。
「アラブの春」とか煽ててイスラーム諸
国に動乱と戦乱、混乱を押し付けたの
は、西欧米諸国では無いか。
更には、物質文明を駆使して現地人を大
量に虐殺して居るのは米国自身で有る。
アフガン、イラク、シリア等で無人、有
人を問わずに航空機を飛ばして、ゲリラ
共々民間人多数を日々虐殺して居るの
は、米軍で有る。
現地では、結婚式に際し、銃を発砲して
祝う習慣が有るが、米軍の無人機は、反
射的、自動的に空爆を加える。又、ゲリ
ラの潜むと見做される集落や車列は、攻撃対象と成る。
強烈なロケット弾等で全身をバラバラ
に裁断された遺骸をイスラーム教徒は、
どの様に受けとめるか。遺体を大切に
するイスラーム教徒に取っては、「イ
スラーム国」の方が、まだマシにも思
えるので存る。
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殆どのイスラーム教徒が「十字軍」と呼んで否定する西欧米諸国の侵略や支配、駐留等に対
して、従来の彼等は一体と成って団結する事は出来なかった。
まず、「民族」の問題が存った。「アラブ」「ペルシア」「トルコ」の三大民族が対立し、
その他の少数民族の利害も輻輳する。
イスラーム内部の「宗派」問題も妥協が困難で存る。「スンナ」「シーア」の二大宗派以外
にも様々な傍系、亜流の宗派が存在する。
更には「政治体制」の相違が在る。「君主制」「共和制」「独裁政」「宗教政」等の政治形
態が混在して居るので在る。
この様に複雑なイスラーム圏で、「イスラーム国」は、実に簡単、明瞭な論理と方針、行動
を、全世界の同教徒に提示した。
即ち、彼等なりの「イスラーム復古維新」で有る。近現代「国民国家」の常識も「欧米的価
値観」も総て否定して、独自に解釈したイスラームの原点に回帰したので存る。
千四百年以上の伝統を有し、十数億人もの信者を誇る「イスラーム教」には多くの宗派と宗
教解釈が存在するが、近年の国際社会に影響を与えて居る「イスラーム原理主義」の拠点
は、エジプト、カイロに在る「アズハル・モスク」、「アズハル大学」ー大川周明博士も留
学したーで有る。
欧米の影響を受けた世俗的政権からは、常に政治的弾圧を受けては居たが、宗教的信念は抹
殺される事無く、そのスンナ派原理主義から「アル・カーイダ(砦)」も生まれた。
今回の「イスラーム国(欧米はISIS-アイスィスーと呼ぶ)」も、その潮流の中から出
現した。
その基本姿勢は、「反欧米」特に「反西欧米」で存る。教理のみならず、同じスンナ派のフ
セイン大統領が米国に利用され、騙され、裏切られて殺された事実について、恨み骨髄に徹
しているだけに、一切の妥協を排して欧米的、クリスト教的価値観、生活習慣の排除を目指
す。
その論理と行動は、西欧米の宣伝とは異なり、イスラーム世界では一定の支持を集め、其故
にこそ、世界各地から義勇兵が大挙して参加して居るので有る。
「イスラーム国」の思想は、欧米的価値観や体制を否定、或いは無視した過去の「イスラー
ム帝国」を模範とする復古思想で有る。
故に、現在の「国民国家」的な国際法的な概念は通用しない。
世界宗教としての「イスラーム教」に取っては、世俗的な国家の壁は有害無益な概念で有
り、人類は「ムスリム(同胞)」か「非ムスリム」に大別される。更に、「非ムスリム」は
「一神教」か、「多神教」若しくは「原始宗教」かを厳しく判別される。
一神教徒(唯一絶対神、経典、教義を有する宗教の信者)で有れば、一応は人間扱いを受け
る。納税等の義務を果たせば居住も認められる。ユダヤ教、クリスト教徒がそれに当たる。
然し、多神教徒や原始信仰を信じる者は、時には家畜扱いしても構わない。
従って、イスラーム世界の一部では現在も奴隷が実在して居る。
だが、「イスラーム国」は、異教徒のヤジディー教徒を奴隷にするだけでは無く、クリスト
教徒迄、奴隷にし、或いは家畜の様に屠殺して居る。
然も、本来ムスリムたるシーア派の将兵や住民をも大量に殺害して居る。つまり、イスラー
ム教スンナ派のみが「神」の認める人間で存り、それ以外の信仰を持つ者、或いは無宗教の
者には生存、存続する資格を認めないと言う極端な「一神教」が、「イスラーム国」の基本
理念で有る。
当然、日本民族の大半は、絶滅対象として認定される以上、彼等は、吾等日本人の敵対勢力
で有り、世界の殆どの宗教や民族、国家を敵に回して居る。
それでも、彼等は強力で存る。
何故ならば、国民国家の概念を否定して居る彼等
「イスラーム国民」は、全世界に展開し、恐らく
日本にも「イスラーム国」は実在して居ると推測
されるからで有る。既存の国境を無視して居る彼
等に取って、彼等のムスリムが存在する地域は、
彼等の領域なので在る。
世界の大半を敵に回しても、教組ムハンマッドが、
一代で「剣とクラーン(日本名コーラン) 」を手
に、アラビア半島を支配した様に、バグダディも
支配領域を拡張する可能性が有る。
クライシュ族出身を自称する彼よりも、近隣ヨル
ダンのハシミテ王家の方がムハンマッドの血統に
近いが、勇猛を以て聞こえた同国の「アラブ軍団」
は、今や精彩を欠いて居る。
既に、ヨルダンの一部も「イスラーム国」化して居ると見るべきであろう。
欧米帝国主義に拠る政治的、経済的侵略に続き、近年では「西欧米・民主教」に拠る「文化
的、宗教的侵略」が活発化して居る現在、それに対抗する「大西亜戦争」の理念的中核とし
て、「イスラーム国」の台頭は、当然有り得ると見做せよう。
西欧米「民主教」の限界と自己矛盾
ー「クリスト教」を否定した「民主教」に「十字軍」派遣能力が減退ー
「ユダヤ教」から発生した「クリスト教」、そしてその両者を基盤にして成立した「イスラ
ーム教」、それ等の「一神教」は、本来「多神教」が主流の人類信仰に異質な悪影響を与え
た。
他者、他宗教に対する理解、受容、包容
力を備えた「多神教」に対して、唯一の
神を奉じる「一神教」は、他者を否定、
排撃、迫害、抹殺、根絶しようと図る。
それが徹底すればする程、神の意志に従
う事に成るので有るから、所謂「中世欧
州暗黒時代」には、欧州には非クリスト
教徒は存在し得なかった。
平成十三年迄のアフガンや現在の「イス
ラーム国」も同様に、独自に解釈した「
イスラーム原理主義」以外の宗教や生活
様式の存在を承認しない。
この「一神教」の狂信性こそ、人類各民族併存、共存を妨げる反人類的毒素なので有る。
以前、カナダの元首相が「原爆を落とされたのがドイツでは無く、日本で良かった」と発言
して話題に成ったが、それは、「西欧米クリスト教徒」共通の認識と感情で有る。
クリスト教徒の日本人を除く、大半の異教徒、然も「絶対神」の存在を信じない「多神教」
の日本人は、「家畜」に近い存在で在って、有害と認定されれば、屠殺、駆除しても構わな
いので有る。
だが、そのクリスト教を否定する思想、教義が、同教の「一神性」を背景に出現した。
「無政府主義」「自由主義」「国民主義」「民主主義」「社会主義」「共産主義」「社会民
主主義」「民族主義(シオニズム、汎スラブ主義等)」等々、「クリスト教」「帝権」「王
権」「身分制度」「資本主義」「帝国主義」等に反対する思想や教義が、政治的勢力を構成
して、社会的影響を与え、欧米以外の世界各地にも波及して、全世界に多大な対立と混乱、
戦乱、惨劇を齎せた。
それは、欧米から発生した思想の多くが「クリスト教」の「一神教的価値観」を基盤とし
て、自己のみを絶対的に肯定し、他者を全面的に排撃するからで存る。
但し、上に指摘した主義主張が単独で成立する訳では無い。
例えば、英国の場合、「王権」「資本主義」「社会民主主義」が妥協して、現在の社会体制
を構成して居る。
然し、大きく分類すれば、英国は「西欧米民主主義(教)」の範疇に属する。
此の手の「民主主義」は、「自由と平等」を価値観の最上部に設定する。前大統領ブッシュ
は、一回の演説で五十数回も「リバティー」と「フリーダム」を使用し、オバマは「平等」
を好む。
論理的に考慮すれば、「自由」を追求すると能力の有無で「不平等」と成り、「平等」を強
調すれば能力差を無視して「不自由」と成る。根本的に相対立するこの二種の概念を同時に
実現しようとするのは、不可能で有るが、彼等は可能と見做して居る。
何故ならば、「民主主義」とは論理とは無縁の「民主教」と言う「一神教」的な宗教、若し
くは信仰だからで有る。宗教は信じる事から始まる。論理的な矛盾でも一旦信じれば矛盾と
は感じ無い。
この民主教国たる米国は、「自由と平等」の二大価値観の布教活動を国内外で積極的に展開
し、世界中から顰蹙を買いつつも、強大な軍事力、経済力で全世界の「民主化」達成を使命
として戦争を続けて来た。
「自由主義」を否定する「ナツィス」に対しては「民主教防衛」の為の「聖戦」を行ない、
「非欧米」的価値観を持つ日本の台頭に対しては、戦争に追い込み「原爆」で止めを刺し
た。
「平等」重視の蘇連とは「冷戦」で対決し、代理戦争たる「朝鮮戦争」で軍事力を見せつけ
様とした。
昭和三十七年の所謂「キューバ危機」迄は、何とか米国優位の体制が続いて居たが、その
後、国内で「公民権運動」が高まり、「ワスプ」の支配が揺らぎ、対外的には所謂「ヴェト
ナム戦争」で事実上敗北すると、米国「民主教」の教義も変質し、対外政策にも一貫性が乏
しく成って来る。
昭和五十四年、蘇連のアフガン侵略を座視せざるを得ず、同年イランのホメイニ「イスラー
ム革命」を許し、平成三年の所謂「湾岸戦争」ではイラクのフセイン政権を倒せず、同十三
年のアフガン、同十五年のイラク侵略は、最終的には失敗して、今や撤兵を余儀なくされて
居る。近年の「シリア内戦」に至っては、軍隊の派遣、駐留さえ出来ない。
だが、「民主教国」たる米国は、その教義の布教を継続、実践しなければならない。
其処で、弱体化した米国は、直接行動から間接的手段行使への路線変更を行なった。
即、支那伝来の「以夷征夷」の外交政策で有る。自由の無い、個人の人権が抑圧されたと米
国や西欧諸国が認定した国家に対して、その国内の反体制勢力を煽り、利用して政権転覆を
図り、其処に「西欧米型民主教社会」を確立すると言う負担の掛からぬ布教作戦で存る。
逆に考察すれば、西欧米諸国には、最早その価値観を強引に強要する「十字軍」の派遣は、
困難に成りつつ有ると自認せざるを得ない事態に立ち至って居ると見るべきで有る。
「一神教」の相撃に直接関与すべからず
ー「共産教」も含めた「一神教」の危険性ー
西欧米「民主教国」に因る対外侵略は減少しつつも、間接侵略は依然として多発して居る。
平成二十三年の北アフリカ、チュニジア「ベンアリ政権」の打倒ー西欧米呼称「ジャスミン
革命」ーに始まって、エジプト「ムバラク政権」、リビア「カダフィ政権」と、面白い様
に、アラブの独裁政権が連鎖的に崩壊した。
その後、所謂「民主的な政権」が樹立すれば、米国や西欧米諸国の大勝利で有った。
然し、「民主教国」の思惑は完全に外れて、実際に「民主的」に勢力を拡大したのは、イス
ラーム宗教勢力で有り、独裁政治時代よりも遥に「反米」「反西欧」傾向の強い政権が成立
して居る。
シリアに到っては、前者の轍を踏まぬ様に、「アサド政権」は、ロシアを後ろ楯に、レバノ
ン南部でイスラエルと戦って居るシーア派のヒズボッラーを用心棒として、戦い続けて居
る。
イスラーム圏では、一部の特権階級や
欧米留学組を除いて、国民の大半は「
反米」「反西欧」なので存る。
イスラーム教徒、特にアラブ民族は、
八百年前の「十字軍」に依る残虐を極
めた侵略を忘れてはいない。
愚生の主張する「民主教」の存在を知
らないイスラーム教徒に取って、西欧
米からの圧力、文化伝播、軍事行動等
の総ては「十字軍」なので存る。「十
字軍」に比べれば、スンナ派を強要す
る「イスラーム国」は残虐でも受容可
能で有る。故に、同国は、その巧妙な
宣伝活動も奏功して、勢力を拡大させつつ在る。
だが、吾等、日本民族から見れば「クリスト教」も「イスラム教」も兄弟姉妹程度の差異し
か存在しない「一神教」で存る。
両者の対立は「近親憎悪」にも似ている。
「民主教」も又「一神教」で有り、「平等な個人」の「自由と権利」を認めない価値観の一
切を否定、絶滅対象とする。
自然の摂理に反し、クリスト教も禁じる「同性愛」「同性婚」を、民主教では是認、推奨す
る。
人類の大半が同性愛者に成れば、子孫は誕生せずに人類は滅亡するが、単純な民主教原理主
義者に取って、「人類の存続よりも、個人の異常性欲充足の自由の方が優越する」との倒錯
した「自由」の価値観が絶対なので有る。
同じ一神教でも、イスラームでは「同性愛者」は「石投げの刑」で処刑される。
民主教に支配されて居るこの「偽日本」から出国した日本人同性愛者がシリアで「イスラー
ム国」の人質にされたと言う。論評にさえ値しないが、民主、イスラームの両一神教の対立
に「日本民族」は、関与すべきでは無い。
両者共に、本来の「多神教徒」たる日本民族に対して、当然乍ら「反日」なので有る。
「共産教」「クリスト教・原理主義」も含めて、一神教の宗教対立、価値観争い、武力衝突
には、距離を置いて捲き込まれない様に、常に警戒すべきで有る。
特に、民主教国たる米国の圧力や説諭に因る一神教勢力間の対立、争闘に参与、関与する事
は、厳禁しなければならない。
「多神教」への回帰を領導せよ
ー他者との協調、互恵、共存の精神へー
愚劣な引用で恐縮では有るが、インドやタイでも、同性愛者はよく目にする。
だが、その社会的立場は、西欧米諸国とは、本質的に異なって居る。
西欧米では、「個人の権利」として、「過去の価値観を否定」する為に、その異常さを公
認、是認、推奨するので有るが、タイ等では、仏教、ヒンドゥー教等の、「多神教」故の
「寛容性」から、否定的に存在を許して居るので有る。
民主教とイスラーム教との価値観対立では、同性愛の是非一つでも、激しい対立や戦争も
起き兼ねないが、「多神教」では異質の価値観が妥協、共存する事も可能に成る。
交通、通信手段が現在よりも自然条件に制約され、人口も少なかった時期には、互いに存在
さえ知らない人間集団が無数に点在して居た。存在を知らない者同士が争う事は、有り得な
い。
だが、産業革命以来、欧米物質文明の質量両面での拡大、発達と人口増加で、人類の生活域
は「地球的限界」を越えつつ有り、各国家、各民族、各人種、各宗教は、隣接し、或いは混
在して、生活、生存して居る。
宗教や価値観、生活様式、言語、肌の色等が異なれば、対立や闘争、戦争が発生するのは、
自明の理で有る。
その解決方法は、一つの一神教に拠る世界制覇と独裁支配か、妥協、共存の国際関係秩序を
構築するしか無いが、各国、各一神教が核兵器を保有して居る以上、単一価値観に拠る世界
制覇は、無理であろう。
ならば、「世界戦国時代」の現在の混乱を解決すべき新たなる国際秩序の構築が必要で有
り、その秩序を成立させる理念が全世界に普く行き渡る事が必要で有る。
現在の「偽日本」社会では、その秩序を「国連」なる組織に求めたがる。日本占領連合国の
「反日洗脳」の一つに「国連信仰」が有る。
一般の国家の上に「国連」が在り、その決議、決定には全ての国家、国民が従わなければな
らない、との信仰で有る。
戦勝五大国に取って全く都合の良いこの洗脳は、首相以下幼稚園児に迄、浸透して居る。
だが、「北朝鮮」を見よ。日本の一県程度の生産力、日本の三分の一の国土、六分の一しか
無い人口の北朝鮮が、所謂「国連決議」なるものを無視して、正に「主体」的な独自外交を
展開しても、一部の西欧米日等からの「経済制裁」を受けるだけで、殆ど影響を受けては居
ない。
「国連中心主義」等と寝言を言って居るのは、反日占領が継続されて居る「偽日本」だけで
有り、世界各国の常識は「自国中心主義」で有って、「国連(正しくは連合国)」は、自国
の国益を主張、拡張、調整する為の取引き、駆引きの場に過ぎない。
この「連合国(偽日名「国連」)」は、第二次大戦戦勝国の世界支配を固定化する国際組織
で存って、その存在自体が不義不正、反日ー敵国条項を見よー国際組織と認定すべきで有
る。
特に五大国の「拒否権」は、「連合国」の不道義、無能力を象徴して居る。取り分け「反日
中共」がその「拒否権」を確保して居る事実は、「連合国」で、重要事項に関する日本に有
利な政治的決定は行なわれない事を意味して居る。
「連合国・安保理」の「拒否権」と「反日・敵国条項」が有る限り、日本は「連合国」を脱
退して、真の「日本国益」を守る国際組織を構成すべきなので存る。
嘗て、真正日本に育てられたインドネシアのスカルノ大統領は、真剣に「第二国連」の創設
を提唱して居た。
当時のインドネシアに比較して、格段に国力を有する日本は、新たな国際組織と国際秩序を
構築する能力は保有しているので存る。
問題は、その意志、意欲が無く、必要性を認識して居ない点に存る。
五大国支配の「連合国(ユナイテッド・ネイションズ)」から、真の「国際協会、又は連合
(インターナショナル・アソスィエイション)」へ、「世界新秩序」の構築を目指す活動を
現実化すれば、その動向は現在の「連合国」改革にも好影響を与えるであろう。
新秩序を与える理念は、現在の「民主教」主導の「一神教」的価値観で有ってはならない。
他者への寛容の精神を持つ「多神教」に基づく価値観が基調とならなければならない。
更に、現下世界の紛争、戦乱の原因は、人種、民族の接触、混在に有る。故に、人種、民族
問題が殆ど存在しない「単一民族国家」たる日本社会を模範として問題の解決に当るべきで
有る。
圧倒的多数の「複合(多)民族国家」でも、領域内部での民族、人種「棲み分け」を行なえ
ば米国で多発する人種問題等も半減するであろう。
だが、米国等の民主教国家では、「平等」理念の下に、人種、民族混住と言う反自然的な生
活形態を理想化し、他国、他民族に迄、強要して居る。
多人種、多民族、多文化、多言語を「ワスピズム」と「民主教」で強引に統一して来た不自
然国家たる米国は、既に分裂に向かって居る。米国とは対極に存る「真正日本」の復活と発
言、主張こそ、人類新秩序の指導原理と成るので存る。