平成二十五年神無月十五日発行
吾等平成維新の神風を巻き起こさん
撣亳 田中正明 先生
一、我日本の伝統と文化を護り、我「國體」を護持せよ。
ニ、我国内外に蠢く反日反動勢力を打倒せよ。
三、諸々の逆差別・特権要求勢力を粉砕せよ。
四、『一日一動』天下・民族の為に、一日一回は活動せよ。
五、大東亜戦争未だ敗れず、諸卿、東亜諸民族と共に皇道を 邁進せん
【教育と狂育】
ー国民教育が「狂」えば 社会は確実に狂うー
中山 嶺雄
(神無月の或る日・京都市内にて)
ー「お願い教育」の情けなさー
欧米物質文明の全世界拡散に起因する異常気象が連日の様に現出する昨今、京都
市右京区のとある小学校横を通過した折り、体育館の中から、多分、運動会の組
立て体操を指導する教員の拡声器を通した声が道路迄、聞こえて来た。
体育館の館内で、一学級を指導するのに拡声器を使用しなければならない教員の
声量にも呆れたが、その言葉の内容に驚いた。
何かの動作をさせる度に、児童に対して、「○○○して下さい」と懇願するので
有る。
経験豊かな中年男性教員が、何故、年端も行かぬ小学校の児童に「お願い」しな
ければならないのか。ご機嫌取りをしなければならないのか。「お願い狂育」「
太鼓持ち狂育」「乞食狂育」ではないか。
現在の「教員」には、「教育者」としての自負や自信、児童・生徒に対する優越
感は無いのか。児童に「お願い」する様な教育能力に自信の無い教員には「教師
」たる資格は無い。
何故、児童・生徒に対して、「命令」「指示」「指導」が出来ないのか。
それは、「GHQ反日体制」に依って創作、強要、拡散、定着させられた「日本
民族の精神文化的絶滅」政策の執拗な汚染に起因している。
(「指導」「強制」の出来ない教育体制)
ー現場教員は制度的金縛り状態ー
反日思想に基づく我国伝統、価値観の破壊を目論む「反日勢力」は、「反戦平和
」「民主教育」「こどもの人権」「こどもの権利条約」等々の名目で、「こども
」を人質に取り、武器として「反日狂育」を進めて来た。
その結果、朝日新聞が社説で強調した「させる教育からする教育へ」とか、「体
罰否定」「ゆとり教育」「こどもの自主性尊重」「こどもの意見を聞こう」等々
の愚劣極まり無い「狂育」が、「日教組」「日共」「反日マス・メディア」「反
日文科省」「反日教委」等々に依る確信的「反日狂育」「反日洗脳」の形を採っ
て、全国の純真無垢な児童・生徒に強要されて来たのである。
「自虐的」「自弱的」「自己否定的」
な「GHQ反日体制」に拠る「反日狂
育」は、さしもの反日狂信的な「日教
組」教員さえも、彼等を「こどもたち
」の「茶坊主」「太鼓持ち」「ご機嫌
取り」「下女、下男」の地位に転落さ
せる自家撞着を生起させたのである。
斯かる異常な教育環境の下で、教員は
絶えず学校内外からの攻撃、糾弾に怯
えていなければならない。
故に、まず一番身近な児童・生徒のご機嫌を取り結ばなければならない。そこで
「こども様」のご機嫌を損じない様に、日々日常の言葉使いにも「こども様」へ
の敬意と礼従を忘れてはならず、児童・生徒に何か「して戴く」場合には、彼等
の反発、反感を恐れて、初めから「○○○して下さい」との懇願表現を用いるの
である。
教育者、指導者、命令者としての「強制力」を保有する「教師」としての「威厳
」も「権威」も「自負心」も無い。
有るのは、その日その日を何とか大過無く過ごすと言う「官僚主義的処世術」し
か無い。
だが、懇願、懇請しても児童・生徒が反抗、或いは無視したら、如何なる対応を
採るのか。大声を出したり、腕を掴んだりすれば、忽ち「体罰」と認定され、懲
戒処分の対象と成る。
実際に、手や足を出さなくても、生徒や保護者が「被害意識」を訴え、或いは「
被害届」を出せば、責任逃れの管理職や教育委員会は懲戒処分を断行する。
日常生活を金縛りされ、教師としての指導、命令、教育を禁じられた現在の教員
達は、ひたすら教科書を児童・生徒に伝えるだけの翻訳機械に過ぎなく成ってい
る。
(教育の本質と基本を破壊した連合国)
ー「GHQ=文部省」と「蘇中鮮=日教組(全教も含む)」は同じ穴のムジナー
そもそも教育とは、無知、未発達、未習熟、不完全な人間に、社会的動物たる人
間として社会生活上の必要な知識、技能、体力、倫理観等を習得、習熟させる為
の社会的機能である。
その実践には、「教える側」と「教えられる側」の間に明確な立場の違いが有り、
教える側は、教えられる側に必要な知識等を習得「させる」責任を負い、且つ「
させる」権限を保有する。
この基本原則は、人類数百万年間の真理で有って、極く最近迄、その原則は自明
の理として誰一人疑う者は居なかった。
だが、西欧米的「民主主義」の病弊が、自己増殖して「平等」思想の害毒が蔓延
し、「親子」「青年未成年」「男女」「君臣」「師弟」「先輩後輩」等の差異を
一切否定する悪しき「平等主義」が、西欧米支配の国際社会で強要されるに至っ
ている。
それに先立って、GHQ占領下の「偽日本」では、「民主教育」の名の下に、その
低劣な反人間的「平等狂育」が青少年のみならず、成人にも強要、洗脳された。
元来、人間は千差万別の存在で在ってロボットでは無い。一人一人に性差が有り、
地位、能力、環境等々で異なった生活が存在し、「人間は皆平等」なる建前、宣
伝は、全面的に虚偽、詐欺の悪質な思想で有る。
人間は、各々の立場や能力、環境、出自等々に応じて、役割分担や生活が異なる。
異なる人間を「人間は皆同じ」とか「人間は皆平等」とか主張するのは、まず事
実認識を誤っているのである。
処が、「民主教徒」達は、事実認識の前に平等原則が有り、その原則を強要する
事で、事実を歪める。「教える側」と「教えられる側」は、互いに対等、平等と
決め付け、教師と児童・生徒との上下関係を否定するから、正常な学校での秩序
が維持できる筈が無い。
これ等の教育を破壊する「狂育」は、総て「連合国」の占領下に策定したもので
有り、その目的は「反日」「日本民族絶滅」で有った。故に、日本民族が独自の
言語、文字、歴史、伝統、文化等々を生かし続けようと考えるならば、六十八年
前に遡って、GHQが策定、強要した総ての制度、思想、文化等を根本から否定、
排除しなければならない。
(「反日体制」の宣伝洗脳機関たる学校)
ー反日気違いを粗製濫造、大量生産ー
学校教育が、教科書の翻訳だけで済めば、
まだ有害性は低いが、現実の「学校狂育」
の実態は、教科以外でより深刻な問題を抱
え、危険な狂育が強制されて来た。
それは、「道徳」「特別活動」「修学旅行
」等々の時間を悪用して行なう「反日洗脳
狂育」の実情である。
無論、教科の時間内でも露骨に、或いは無
意識に伝統破壊の「狂育」が行なわれてい
る。
英語や家庭科の授業でも、使用する教科書
の料理の場面では、料理をしているのは、
母親では無く父親で在る。挿絵に出て来る人物は、必ず男女同数で描かれる。
「性教育」の時間には、世間で普通「恋愛」と呼んでいる男女の愛情を「異性愛」
と教え、「同性愛」に同等の価値を与える。異常性愛を是認、推奨するので有る。
毎年、八月は「反日月間」である。
「平和教育」として「反日狂育」の総仕上げを行なう。
無論、常日頃から組織的、計画的に、各学校毎に策定される「年間計画」に従っ
て実行される「平和教育」「人権教育」「国際理解教育」等々の「反日狂育」が
児童・生徒に強要されているが、「八月」には、それを児童・生徒自身が自発的
に、自身の思想、信条、信念として確信する様に、巧妙、悪辣な多角的洗脳工作
が行なわれるので有る。
「夏休みの宿題」として「平和教育」等の名目で「自主研究」の課題が出される。
然も、ご親切に研究主題の例題や手法が提示される。
例題としては「南京大虐殺」「朝鮮人強制連行」「従軍慰安婦」「広島原爆投下」
「戦時下の生活」等々が挙げられ、当然、多くの児童・生徒はその中から研究主
題を「自主的」に選択する。
更にご丁寧な事には、研究手法も例示して有り、各放送局の「終戦記念日特集」な
る反日番組の一覧表が、視聴推薦番組として紹介されているのである。当然、日
教組、全教等の反日労組とメディア関係の反日労組が提携しているので有る。
児童・生徒は反日教員が支配する学校から紹介された推薦番組を「自主的」に視聴
して参考にする。
又、研究場所として各地域の図書館へ赴いての自主研究を奨励する。
「自主的」に図書館を訪れた児童・生徒の前に用意されているのは、「平和(教育研
究)コーナー」なる一角で有り、ご親切にも数百冊もの反日図書が用意されている
ので有る。
児童・生徒は、その中から「自主的」に、提示された例題に合致する図書を借り出し
研究して一つの作品に纏め上げる。
無論、親切な図書館の係員は、反日労組の活動家達である。
出来の良いものーより反日性の強いものーは、教員に褒められ、場合に依っては
秋の文化祭等で展示、発表されるから、「自主」研究、「自由研究」には、熱が入り、
自分で研究した結果は、総て事実と思い込む。
「修学旅行」及びその前後での反日狂育も執拗且つ効果的な洗脳工作以外の何もの
でも無い。
小学校では「広島」、中学校では「沖縄」、高等学校では「韓国」或いは「南京」が、各
々「反日狂育」の聖地で在る。
例に依って、一定の方向性と教材を与えた上で「自主的に」「事前調査」を行なわせ、
小冊子等に纏めさせる。
旅行先の現地では、「語り部」とか「被害者」とか自称するウソ着き共が、「日本及
び日本軍」の悪逆無道、残虐無比の蛮行を喚き散らし、事前に植え付けられた反
日の基礎知識を確固たるものに定着する。この三つ子の「反日魂」は百才迄も続く
であろう。
学校に戻ってからも「感想文」を書かせて意識の定着化を謀り、更には秋の文化祭
等で発表、展示させ、執拗に反日意識の徹底を画策する。
この学校狂育と社会狂育、反日メディアが、「反日」「日本否定」を最高、最大の価
値観として結合した「反日狂育複合体」とも表現すべき狂育環境で、偽日本の青少
年は生育するので有る。
社会で無数に発生する青少年犯罪や非行、心身の障害や価値観の倒錯等の多くが
我国の文化、伝統や自然に違背した「反日狂育」に主たる原因が有る。
(「反日」の自由放任と「愛国」の抑圧圧殺)
ー反日愚劣醜悪図書、漫画の強要ー
学校と外界の間には塀が一枚在るだけと認識している者が圧倒的多数で有るが、
実際には、その内外を隔てる眼に見えない巨大な壁が屹立している。
巨大な建物が在り、その中に多数の児童・生徒が生活しているのは、可視可能で
有っても、如何なる授業や活動、指導が行なわれているのか、外部の人間には分
からない。否、小学校では、学級担任制度なので、隣の学級で如何なる授業が実
施されているかが不明な場合も多い。
この様に閉鎖的な学校は、神社仏閣、修道院の様な「聖域」で有る限り、外界の汚
染や危険から青少年を守る有効な意義が有る。
だが、「教師」を「労働者」と規定した所謂「日教組」に依る学校支配以来、教師は「聖
職」では無く成り、学校は「反日日本人」を大量に粗製濫造する「狂育工場」と化し
て、労働者教員が「こども」を「人質」に取り、のさばる「反日の砦」と成った。
過去に於て、学校は「聖域」で存り「心の故郷(母校)」で有り、如何なる重罪犯罪
人でも学校や児童・生徒に危害を加える事は無かった。教師は「先生様」と尊敬さ
れ、彼等自身もその重責を自覚して自己の使命の為には身体的生命を擲つ者も多
かった。
昭和二十年迄の「学校・聖域」「教師・聖職」の国民意識に悪乗りした「日教組」等は、
外界との眼に見えない壁を悪用して、壁の中で「反日狂育」を継続して来た。
その典型例が、「はだしのゲン」なる反日狂信グロテスク漫画で有る。大部分の学
校で、反日教員が学校図書室に置いたその漫画は、内容の誤りと反日性以前に、
小中学生の発達段階から考えて、到底学校の書架に並べる性格のものでは無い。
日本兵が支那人の首を切る場面や妊婦の腹を裂いて胎児を取り出し、殺す場面等
々、ホラー映画顔負けの猟奇的且つ醜悪な内容で有る。
勿論、ウソで固めた内容で有るが、仮に吾等と同じ思想の教師が、「通州事件」の
写真を小学生に見せたならば、如何なる結果を生ずるであろうか。
周知の様に「通州事件」とは、昭和十二年七月二十九日
夜、中共に買収された支那保安隊が、同地に生活、滞
留、駐屯して居た日本人、日本兵二百数十名を惨殺し
た事件で有り、支那事変の直接的な原因で有る。
特に日本人旅館の仲居等、日本人女性への凌辱行為は、
筆舌に尽くし難く、日本人には想像も出来ない凄惨な
光景で在った。
二~三十年前に月刊誌「全貌」で、同事件の検視写真が
公開されたが、悲惨なもので在った。
その事実は、「反日体制」と「反日メデ
ィア」に黙殺、圧殺されてしまったが
仮に中共批判の教材としてその写真
を児童・生徒に見せた場合、反日メ
ディアが騒ぎ、その教師は間違い無
く処分されるであろう。
「事実の写真であっても、児童・生徒
の発達段階に不適切な教材を提供し
た」と言う処分の説明が為されるであ
ろう。
「はだしの云々」は、内容も事実に反
し、表現が小中学生の発達段階に照
らして不適切で有るにも拘らず、児
童・生徒に強要されているのに、「通州事件」は教材として使えないので有る。
この「GHQ反日体制」に於ては、「反日無罪」「愛国有罪」が基本原則で有り、「反日
の自由」は無制限に許容されるが、「反連合国」ー中共は連合国の一国と自称ーや
日本人の「愛国」は、禁圧され、取締りの対象に成るのである。
(「反日狂育産業」の横行)
ー反日は儲かる、反日で儲けるー
「反日」が体制の基本で有る以上、この利潤を追求する資本主義社会で「反日で儲け
る」と言う輩が多発しても不思議は無い。
その代表例が「丹青社」で有る。東証一部上場、現在株価六百円台を維持して居る
この資本主義民間会社は、悪名高い大阪市の「ピース大阪」なる反日洗脳施設の反
日展示を製作した。
金の為ならば、儲けの為ならば、吾等の先祖、
先達を侵略者、虐殺者に捏造しても恬として
恥じる事の無い守銭奴の一つが、この「丹青社」
で有る。
此手の反日企業は、広島、沖縄等、全国に分布
して居るが、最も盛んなのは、東京で有る。
教科書を始めとする教育関連業界は、日教組、
全教等の反日教員に迎合して反日教科書、反日
図書、反日教材の製造、販売に努める。
無償配布の教科書が五百億円近く、教科書以外
の教材費は中学生で年間一万円以上、三百万人
として三百億円以上、各学校に支給される「図書
費」は、規模に依って異なるものの 一校数十万
円、事実上担当教員の独断で反日図書を購入出
来る。
前述の「はだし云々」の発行部数「千万部」とも言われる驚
異的な記録は、全国四万近い小中高の学校図書室の購入が殆どで有る。
毎年購入して居れば、新規の図書購入は減って予算が余る。その余った予算を
消化する為に十冊一セットの「はだし」を何セットも纏めて購入する学校も多い。
「はだし」に限らず、「反日」は教育界で販売を確保する決定的な要素なのである。
斯くて、「反日産業」は、公的資金、即ち「税金」を食い物にして、増殖を続けてい
るので有る。
だが、今や、直接「反日」を口にしなくても事実上の「日本民族絶滅」政策に加担し
ている企業も少なく無い。「ユニクロ」「楽天」等の「社内英語公用語化」の売国企業
である。
民族を区分する最大の要件は、「言語」で有る。母国語が消滅すれば、その民族は
滅亡する。社内英語化、実質「米語化」は、GHQが日本占領目的の究極に設定した
日本民族の「精神文化的絶滅」政策、即ち、所謂「ジェノサイト(民族絶滅)」犯罪
への参加に他ならない。
(文科省「米語狂育」の危険性)
ー「(母)国語」の衰退は日本民族の滅亡に繋がるー
明治三十三年に作曲された「鉄道唱歌」に「横浜ステーション」なる言葉が出て来る。
明治の初期には「駅」と言う訳語が考案されて居らず、英語その儘に「ステーショ
ン」と呼んでいた。
だが、賢明なる明治期の先輩達は、言語が民族を民族たらしめる最大の必要条件
である事を自覚して居て、様々な外来語を国語に翻訳して使用した。
GHQ占領政策で「國語」破壊が続けられる中でも、例えば「インフルエンザ」は「流行
性感冒」と訳され、現在では中共でも「流感」として通用している。
だが、数十年前から偽日本国内では、「流感」は消され、「インフルエンザ」と呼称
され、青少年に「流感」と言っても通用しない。
この様に、次々に「國語」が消され、民族意識が希薄化されて、占領政策が着実に
結実して行く。
偽日本の大衆には、反日洗脳に因って「英語(実質的には米語)崇拝」の植民地根
性、属国心理が定着してしまって居る。その結果、米国さえも要求しない「脱日入
米」の醜悪な反日政策を偽日本政府自身が進めると言う売国、亡国の愚挙、暴挙が
日夜展開されている。
その最たるものが、「小学生への米語狂育」で有る。
幼少時期には「国語教育」の徹底こそ必要不可
欠であるにも拘らず、国語能力の不十分な小
学生に外国語を強制しているのである。
然も、最近の報道では、小学生の低学年に迄、
外国語たる米語を強要しようとして居るとか。
愚劣の極み。小学生低学年で米語を修得した
児童は、物事を考える時に、米語で考えるの
か、日本語で考えるのか。米語で思考し、会
話する様になれば、彼、彼女は最早米国民族
で有って、日本民族では無い。
偽日本の文部行政を担当する「文部科学省」なる官庁は、「害務省」と並んで、日本
民族絶滅の尖兵で有る。
特に悪質なのは、外国人教員に依る「英語狂育」である。「ネイティブ」とか称して、
英語を母国語とする外国人を英語教員として受け入れる。多くの場合、「採用」で
は無く「受入れ」である。何故ならば、外国人教員の派遣会社から「派遣」して貰う
ので、直接採用では無い。故に、必ずしも英語を母国語にして居ない国々出身者
でも派遣されて来る。
問題は、大部分の関係者、国民が、外国人に依る英語教育を「語学教育」だけと思
い込んでいる点で有る。
「国際社会で通用する英語(米語)を理解、会話出来れば、有意義だ」との一般認
識は、間違っている。英語と言う外国語を強制する危険性に多くの日本人は気付
いては居ない。
言語は純粋に言語だけが伝達されるのでは無く、その背景に在る文化や価値観を
も伝え、更には政治、経済等も関係するので有る。
例えば、米人に拠る「英語(米語)」教育の場合、米人教員は、自分の事を「ジム」
「ビル」「ジョン」等の所謂「ファースト・ネーム」で呼ぶ様に要求する。当然、生徒
に対しても「太郎」「花子」と呼び掛ける。
つまり、「師弟関係」を否定して「友達関係」で児童・生徒に接する。無論、大部分
の者が教職免許等は所持して居ない。極論を述べるならば、米国の小学生でも外
国人教員として日本人児童・生徒を教育する事が可能なので有る。
米英の生活習慣や価値観を日本人に擦り込む外国人「英語」教員は、米英に拠る文
化的侵略の尖兵で有る。派遣会社も間接的に「反日産業」の一翼を担っているとも
言える。
この神無月の末には、米国で「ハロウィーン」なる農業祭が行なわれる。古代西欧
ケルト民族に始まるとされる米国の祭典は、米国で行なわれる事に異論は無い。
だが、この偽日本では、公立の幼稚園や地域の子供会等で、この米国祭を祝い始
めて居る。米国のサルマネを恥ずかし気も無く露呈する主体性皆無の衆愚的大衆
の意識には、「東京大虐殺」「広島・長崎大虐殺」で、無惨にも米軍に依って生きな
がら焼き殺された日本人同胞とその遺族の悲鳴、苦痛、呻吟の声は全く伝わらな
いのであろう。
表面的には、日本の独自性を希求するかに演出している安倍首相、橋下市長も、
殊の他「英語教育」には熱心で有る。その反日性を認識出来ない両者には、我国の
責任者たる資格は無い。
(「狂育」を排除して「教育」を復活せよ)
ー「独立恢復」と「教育復活」は 日本民族存続の為の両輪ー
親殺し、子殺し、ストーカー殺人、バラバラ殺人、無差別大量殺人、俺俺詐欺、
食品偽装から異常気象迄、所謂「戦前」には無かった社会的、自然的病理が、全国
的に蔓延、拡散し、日本全体が罹患している「偽日本」社会の現状は、それを育ん
だ「反日異常狂育」に主たる原因を求める事が出来る。
所謂「民主教育」で「個人」に分断され、個人の利害を「自由」気儘に追求し、その結
果として、我儘勝手な「個人」が、自己の欲望や感情、利益を優先、時には爆発さ
せ、他人への配慮を無視すれば、当然、社会は対立、堕落、腐敗、混乱する。
然も、世界唯一の特殊な「民主主義・偽日本」では、「人命は地球よりも重く」、犯
罪者の「人権」は最大限に尊重され、国家と個人は「平等」対等関係に存って、国家
は個人の利害に反して、その規制、制約を出来ない。
人間には長短、美醜、優劣等の差異が有るが、優秀、美麗、温厚、品位有る人物
も居れば、醜悪、低劣、野蛮、暴虐の輩も居る。
その持って生まれた性格、性状、能力等は、先天的な要素で有るが、長所の多い
者は兎も角、短所の有る者は、社会的適応性を保持させる為に「教育」が必要不可
欠で有る。
既述の通り、教育とは「させる」が基本で有り、知識を修得「させる」のは勿論、社
会生活に必要な生活習慣や倫理観、道徳意識を涵養「させる」事が重要で有る。
処が、GHQに依る「日本弱体化」「日本解体」「日本民族絶滅」の「反日民主政策」が、
「修身」授業を禁止し、「日本的価値観」を否定、破壊した結果、清く正しく美しく
勇壮典雅、尚武の日本精神は打撃を受けた。
だが、先人の遺訓は社会の底流に強く残存して、日本社会の崩壊を妨げて来た。
然し、GHQ支配から既に六十八年、世代三代の交代が為され、真正日本に居住
していた人口は急激に減少している。
逆に、「日本」を知らず、教えられる事の無い世代が圧倒的な多数を占めている現
在、社会の表層に「日本」は見られ無い。
ひたすら、低級劣悪凶悪犯罪多発の米国社会の後を追って、滅亡への道程を爆走
して居るかにも見える。
だが、我國史三千年の歴史的視点で現状を俯瞰、把握した時、過去には、より無
自覚な混乱した時期も有るので在る。
「GHQ反日体制」側の「反日狂育」の成果に伴う「偽日本」社会の病理は、誰の目に
も明白な段階に到達して居る。問題は、大衆に施された「反日洗脳」を如何にして
解除、解放するかで有る。
反日体制に支配されている教育界は簡単には、改善され無い。だが、教育行政も
政治の一部分で有る。橋下知事、市長の出現で、全国最悪の「大阪の狂育」は、少
なくとも表面的には大きく変わった。
教育正常化、異常犯罪防止の為には、「GHQ反日体制」の否定、排除が必要不可
欠で有り、その時期は歴史的尺度で予見すれば、然る程遠く無い将来と予測され
る。
「尖閣効果」で愛国心が、「東日本大震災」で同胞愛が発現された「我國」は、表面的
に喪失した「独立意識」と「伝統的価値観」の復活、再生に向けた方向性を恢復しか
けて居る。
新しいものを創る必要は少ない。唯、六十八年前に回帰すれば良いだけで有る。
極めて簡単、単純、純粋な民族回帰運動に、日夜挺身し、「皇國再興」に向けて邁
進しようでは無いか。
向 民 祖 尊 清 栄 光 許 為 日 米 |大|
け 族 先 厳 澄 光 輝 す の 本 国 |東|
て 的 と を な と あ な 文 民 に |亜|
死 生 子 る る 化 族 拠 |聖|
守 命 孫 皇 帝 侵 絶 る |戦|
せ 存 の 国 国 略 滅 |継|
よ 続 の の を の |続|
に |中|