第二百四十八号 【「大東亜戦争」継戦中】

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平成二十六年葉月十五日発行

吾等平成維新の神風を巻き起こさん

                 撣亳 田中正明 先生

 

kosumosu

一、我日本の伝統と文化を護り、我「國體」を護持せよ。
ニ、我国内外に蠢く反日反動勢力を打倒せよ。
三、諸々の逆差別・特権要求勢力を粉砕せよ。
四、『一日一動』天下・民族の為に、一日一回は活動せよ。
五、大東亜戦争未だ敗れず、諸卿、東亜諸民族と共に皇道を
邁進せん

 

「大東亜戦争」継戦中

ー不義、不当、不法、残虐無道、低劣野蛮なる反日連合国に

日本民族は聖戦を継続ー

中山 嶺雄

「大東亜戦争」の性格と本質

ー人類史・近現代の不義と大義の対立ー

現下の反日連合国、就中、米国が策定した「GHQ反日体制」の下では、現実の社会
現象さえも歪曲されて認識、判断される。
況してや反日連合国が無条件、全面的に「正義」で有り「善」で有り「被害者」でな
ければ成らない「太平洋戦争」に関しては、「日本及び日本軍」は「残虐非道」の「
侵略者」で有り「悪玉」「加害者」で存るとの結論、決め付けが総ての事実認識以前
に決定されて居る。
「太平洋戦争史観」と表現しても良いであろうか。
過去の「日本的なるもの」の総てを否定し、現在もそれが現出する事を抑圧、抹殺し、
未来に於ても出現しない様に、監視と警戒を続け、日本民族の精神文化的絶滅に至っ
て「最終的解決」を図るのが、反日連合国及び内外に轟く反日勢力の戦略目的で有る。
斯かる、事実認識より前に結論が決定されて居る反日派の視点、論理に依拠して「大
東亜戦争」を評価しても全く無意味で有る。

吾等は、日本及び日本人が外国占領軍の支配するより前の、即ち、「独立国」で在っ
た時点での価値判断基準に基づいて「事実」を認識し、「反日洗脳」から脱却して、
自由に思考、判断を行なわねばならない。
その際に必要な基本的資料、史料等に関しては、同時代的なものが歴史的事実を真に
物語って居ると考えるべきで存る。
「大東亜戦争」の開戦原因等を同時代的に闡明させて居る最高の文書は、開戦の「詔
書」で存る。吾等真正日本臣民が畏れ多くも昭和陛下より奉戴したその「詔書」にこ
そ同戦争の性格が明記されて居る。

東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與」し、「列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ
樂ヲ偕ニスル」事を「國交ノ要誼」として居た我國は、「中華民國政府」が「濫ニ事ヲ構
ヘテ
東亞ノ平和ヲ攪亂シ」たが、「幸ニ國民政府更新」して「善隣ノ誼ヲ結」んだ。
然し、「重慶ニ殘存スル政權ハ」「悛メス」に「米英両國ハ重慶殘存政權ヲ支援シテ
東洋制覇ノ非望ヲ」強め、オランダ等をも誘い、我國に対して「武備ヲ增強シ」、「
和的通商ニ有ラユル
妨害ヲ與ヘ」「經濟斷交」を強要し、我國の「生存ニ重大ナル脅威ヲ
」えて来たが、我國は「平和ノ裡」に事態を解決しようとして「隠忍シ」、交渉を重ね
た。
だが、米英は「毫モ交讓ノ精神ナク」「經濟上軍事上ノ脅威」を我國に加えて「屈從セシ
」様とし続けた。
斯かる状況の下で、「東亜安定」への我國の「積年ノ努力」は「水泡ニ帰シ」、その「存
立」は「危殆ニ瀕」し、「今ヤ自存自衞ノ爲」に「一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外」対応策が
無く成った。

kaisennosyousyo

 

以上に概説した「詔書」に基づく「大東亜戦争」開戦の歴史的事実は、何人も否定出
来ない「事実」で有る。
則ち、昭和四年の「世界恐慌」以来、恐慌克服の経済的方策の対立と、「ヴェルサイ
ユ反独体制」の矛盾、蘇連ボルシェヴィズムの世界侵略、等々の複層的要因に拠って、
混乱激動する国際情況の中で、「東亜」には、日英仏三ヶ国の既存権益に対して、米
蘇両新興国に依る新たな侵出が露骨に開始され、既存三極の内で最も弱いと見られた
我日本に対してその矛先が集中する。

先ずは米国に拠る「張学良」満州軍閥を悪用した満州侵出戦略で有ったが、我國軍民
を挙げたー日本政府は消極的ー「大陸雄飛」「満蒙は日本の生命線」認識、思想の昂
揚と、満州、支那での「清朝腹辟」勢力との共闘の結果、「満州事変」「満州国建国」
蘇連の「満州国承認」と繋がり、米国の満州侵出の野望は封じられた。
だが、昭和八年、「東亜侵出」を公約に米国大統領に当選したローズベルトは、一貫
して反日東亜侵出の戦略を持続させた。

一方「一国社会主義」路線を採用したスターリン率いる蘇連は、「国際共産主義運動
(コミンテルン)」を悪用して、「人民戦線戦術」を全世界に輸出した。即、「より
反共色の弱い勢力と共闘して、より反共色の強い勢力を叩く」と言う「以夷制夷」の
巧妙な戦略で在った。昭和十一年から同十四年迄の「スペイン内戦」が、その典型例
では在ったが、東亜でも、昭和十一年の「西安事件」に因る「第二次国共合作」と成
って、狡猾な反日工作が続き、翌年の中共に拠る日支交戦、所謂「盧溝橋事件」が謀
作された。

金を愛した長女、宋藹齢。 国を愛した次女、宋慶齢。 権力を愛した三女、宋美齢。

金を愛した長女、宋藹齢。
国を愛した次女、宋慶齢。
権力を愛した三女、宋美齢。

支那内部にも、孫文夫人宋慶齢に代表
される「容共反日」と、その妹たる宋
美齢の「親米反日」勢力とが、「日支
提携」の大道を妨害、破壊する為、狡
猾、陰険に暗躍して居た。
支那の歴代王朝では、「女」が政治に
熔喙すると混乱が起こると言われて居
る。
漢の「呂后」唐の「武后」清の「西太
后」、又、毛沢東夫人「江清」等々、
残虐非道の女性権力者は、支那の歴史
を暗黒に飾って居る。
蒋介石も夫人宋美麗の尻の下に敷かれ
て居た事が、支那事変長期化の一因で
も在ったかも知れない。
ナツィス極東支部長ラーベ(近年レーベとも呼ぶ)等のドイツも、当時は必ずしも親
日的では無かった。
斯かる反日的国際環境の中で、「支那事変」が勃発し、日支両国政府、軍部の「不拡
大方針」にも拘らず、事変は拡大して行ったので存る。

東亜の独立と安定、平和を希求する我國及び東亜的価値観、即ち「大義」を遵守する
漢、満、蒙、鮮、藏、越、比、泰等々諸民族の正当な要求、願望は、既得権益を有す
る英仏蘭、更には侵出を図る米蘇両国の強引かつ不当、不法な「不義」に基づく暴圧
で、塵芥に帰する事と成ったので存る。
世界を侵略、支配し、その世界秩序を維持、拡大しようと図る欧米列強、及びその手
先共と、我國を盟主とし、又、尖兵とする非欧米諸国家、諸民族との対立、抗争こそ
「大東亜戦争」の性格を規定して居る。

だが、より本質的な対立は、十余年の国際的問題では理解出来ない。
「幕末・維新」期以来の、即ち、米英仏等が我等の東亜で、貿易船、捕鯨船、麻薬密
輸船、奴隷運搬船等を暗躍、跳梁、跋跨させ、「砲艦外交」を続けて居た時期から、
侵略を拡大し続ける欧米と、その暴虐な荒波を受ける非欧米諸国との間には、加害と
被害と言う埋め難い溝が存在して居た。
「大東亜戦争」は一朝一夕に勃発したのでは無い。欧米列強に拠る侵略の中で、唯一
実質的な独立を保ち、非欧米勢力の希望の星と成って居た我國への欧米植民地主義、
帝国主義ー露西亜、蘇連も含むーに依る長期的な反日戦争戦略の帰結として、昭和十
六年に至って、米英に依る対日戦争謀略が結実したので在る。

その歴史的背景を更に辿るならば、数千年以前の「一神教」発生に迄、「大東亜戦争」
の遠因を遡及する事が出来よう。
ユダヤ教に始まるとされる「一神教」の排他的、狂信的、独善的教義は、後にクリス
ト教、イスラーム教に受け継がれ、歴史的近年に於ては「カルヴァン派」とその対置
的信仰としての「共産教」を生んだ。
現在、世界の主流を支配して居る「民主教」もその価値観の系列に属して居る。

彼等は、「絶対神」或いは「絶対的真理」の存在を前提として、その教義や論理を他
者に強要する事を最高最大の使命、責務と確信し、異質の論理や思想を徹底的に排除
する。
現在、西南アジアに於て「イスラーム国」を名乗るイスラーム原理主義勢力が、他宗
派に対して様々な迫害、虐殺行為を行なって居るが、それを非難する「民主教」原理
主義勢力たる米国が第二次大戦以後に「民主主義を広める為に」実行した無数の戦争
や謀略に拠る死傷者、被災に較べれば、子供の悪戯程度でしか無い。

kishikubeiei2

病院船攻撃という国際法無視の米軍

kichikubeiei吾等、「多神教」の民族は、「一
神教」諸国から観れば、野蛮な背
信的劣等人間集団、場合に因って
は、人間の価値さえ存在しない野
獣、害獣の如き野蛮人に過ぎな
い。
昭和二十年三月の「東京大虐殺」
同八月の「広島大虐殺」「長崎大
虐殺」等々で、生きながら焼き殺
した無数の日本人は、「民主教」
教義の保護対象外の家畜、野獣、
害獣に過ぎないが故に、何の良心
の呵責も無しに、無惨とも思わず
虐殺ー奴等から観れば「駆除」ー
したので在った。

「大東亜戦争」の本質は、所謂
「文明論」的な「価値観」の対立
で在った。
即ち、「仏教」「道教」「神道」
等々の「多神教」的な非欧米社会
諸国、諸地域に対して、「クリス
ト教」「資本主義」「民主主義」
「共産主義(ボルシェヴィズム)
」が、狡猾且つ効果的に仕掛けて
展開した「価値観」の抗争で存っ
た。

 

 

「世界戦国時代」と「大西亜戦争」勃発

ー西欧米に拠る宣教師的価値観の押売りー

現下の世界を支配して居る主導勢力は、西欧米で急拡大した「民主教」勢力で存る。
「第二次世界大戦」の結果、形成された「ヤルタ・ポツダム米蘇世界分割体制」の下
で、米蘇両国共に「民主主義」を呼号した為に、「民主」が絶対不可侵の「価値観」
とされた。

だが、誰が考えても、米国の民主と蘇連のそれとは、異質の思想に見えた。
米蘇両国が「民主」の「本家争い」を行なうー所謂「冷戦」ーの中で、我國の「大東
亜戦争」で覚醒、或いは独立した非欧米諸国は、「第三世界」「非同盟諸国」を形成
して、米蘇両国から距離を置いた独自外交を進めた。
基本的には「反植民地主義」で在った為に、西欧米諸国への反発から蘇連や中共との
連携を図ったが、支配下には入らなかった。

唯一、米国の裏庭たるカリブ海に浮かぶキューバは、強力な米国の圧力に対抗する為
に蘇連の支配下に入ったが、独自の外交も忘れずに、「昭和天皇御崩御」に際しては、
全国を挙げて五日間の喪に服した。「大東亜戦争」で米国と戦った我國とその元首た
る昭和陛下に対し奉り、最大限の敬意と弔慰を奉呈したので存った。
同様に、我軍に育てられたインドネシアの

原爆慰霊碑に花輪をささげるネルー首相(左)と娘のインディラ・ガンジーさん。 首相の広島訪問は、市民に大きな励ましとなった。

原爆慰霊碑に花輪をささげるネルー首相(左)と娘のインディラ・ガンジーさん。
首相の広島訪問は、市民に大きな励ましとなった。

大統領スカルノ、「日露戦争」で独立に開
眼したインドのネルー首相、スターリンの
圧力に抗してユーゴの独立を守ったチトー
大統領、更には反英の闘士で存ったエジプ
ト(当時はアラブ連合)のナセル大統領等
々、第三世界を代表、領導する指導者達
は、皆、「大東亜戦争」の戦争目的たる「
東亜の解放」たる「大義」の実践者で存り
当然、我國に対する共鳴、共感、感謝の念
を抱き、良き理解者、即「親日家」「親日
派」で存った。
我日本が、反日連合国に占領され、「日米
安保体制」の下で、実質的な米国に拠る日
本支配が継続し、日本に依る「大東亜戦争
」の世界史的活動が停滞する状況下でも、
その意義、大義は、第三世界に確実に伝
播、宣布されたので有る。その動向は、
非欧米諸国のみならず、敵中心の米国に迄、及んだ。
それは、昭和三十年代の黒人キング牧師等が主唱した所謂「公民権運動」と成って米
国社会を震撼させた。
米国の建国と領域拡大、産業発展は、所謂「ワスプ(英国系新教徒白人)」に依って
行なわれ、その目的は「ワスプの為」で有り、ホワイト(白人)に非ざるブラック(
黒人)-当時は誰もが「二グロ」と呼んでいたーは、奴隷出身の少数派で在って、対
等、平等の処遇を受けては居なかった。

だが、「欧州大戦」後の「パリ講和会議」で我國が「人種平等案」を提出し、米国も
四大帝国解体の為に東欧に「民族自決」を認めた為に、人種、民族問題が広く認識さ
れる様に成った。
加えて、「大東亜戦争」等で、員数不足解消の為に多数徴兵された黒人が、軍隊内で
比較的に平等に近い扱いを受け、又、同じ有色人種たる日本軍将兵の勇戦敢闘に接し
て、白人支配の米国に不満を抱き始めたので有る。

共和党のニクソンが大統領に当選して居たならば「公民権法案」は成立しては居なか
ったであろう。然し、米国民主主義の衆愚性が、外観でアイルランド系ー即、非英国
系ー初のケネディーを大統領に選出した為に、黒人票を狙った彼の決断で同法案は成
立した。
当時のワスプは、予測も出来なかったであろうが、ケネディーが始めた所謂「ヴェト
ナム戦争」をニクソンが終わらせる迄の約十五年間に、米国黒人の社会的地位は確実
に向上し、その結果、ワスプは自滅への道を歩み始めたので存る。

だが、強力なワスプが一方的に没落する事は有り得ない。当然、反動、反撃も現出す
る。米国との「軍拡競争」に敗れ、「アフガン侵略」に失敗した蘇連邦は、自滅、解
体し、主敵を覆滅したつもりの米国は、一極支配の幻想に酔い痴れて、ワスプ再興の
為にも西南アジアへの石油利権強奪の軍事的侵略行動を起こした。口実にはイラクに
依るクウェート侵略阻止と、フセイン独裁政権打倒と言う「民主教」の大義を掲げて
は居たが、そのウソは誰の目にも明白で有った。二年前迄は、そのフセイン独裁政権
に大量の軍事援助を与えてイランを攻撃させて居たのが米国自身で存ったからで在る。

この所謂「湾岸戦争」は、新たなる国際秩序の出現を全世界に露呈した。
即ち、事実上米国一国で戦った所謂「ヴェトナム戦争」とは異なり、「多国籍軍」と、
日本を含む多くの国からの戦費調達が無ければ戦争遂行が困難で有り、「連合国(偽
日本での通称「国連」)軍」の名称さえも使用出来ず、最終的にはフセイン政権の打
倒さえも出来なかった。
つまり、最早米国は、蘇連に次いで、世界の覇者の地位を奪われて居たので有る。

湾岸戦争、イラク戦争で米軍が使ったrekkaurandan
劣化ウラン弾の死の灰を浴びた母親か
ら生まれた子どもの写真。
イラク人民だけでなく、あの戦場にい
た米軍兵士の体をも蝕み、彼等にも写
真と同じような子供達が生まれている
が、米国政府はひた隠しにしている。
劣化ウラン弾の粉塵は呼吸を通して肺
から入り、全身を放射能に被曝させる。

 

世界は「戦国時代」に突入した。

戦国時代は、「下剋上」の実力主義が幅を効かせる風潮を伴う。米蘇両国の支配下に
呻吟して居た被抑圧諸国、諸民族、諸宗派等々が、各々自由勝手に各自の自己主張を
始めた。
その中で、西欧米の「民主教的理念」「資本主義的利権」「国益」等が、複雑に絡み、
彼等の言う「中東(以前は中近東と呼称)」への再侵略を開始すると、侵略される側
からの強烈な反撃が巻き起こった。

反西欧勢力を、直接的に指揮、命令する司令部的、中心的な国家、機関、団体等は、
存在しない。
だが、彼等に共通する決定的な要素が存在し、決して消滅する事は無い。
それは、「イスラーム教」で有る。
欧米の対イスラーム認識は、日本に較べて格段の精緻、精密、詳細、深厚なるものが
有るが、彼等自身が一枚岩で無い為に、一貫した対応が採れない。

昭和五十四年のイランで国際秩序を揺るがす変化が起こり、所謂「第二次石油危機」
が勃発した。
当時のイランは、西南アジア最大の大国で在り、「バーレビ・シャー(皇帝)」の帝
政下に在り、西欧米と親密な関係に安住して居た。だが、アフガン侵略を意図する蘇
連に執っては、目障りで有り、西欧米の「民主教」原理主義者に執っては、排除すべ
き独裁君主で在った。
東西冷戦当事者から見捨てられた皇帝は、流浪の末にパナマへ亡命し、米国の保護も
受けられずに、数年後に永眠した。
その後の「イラン・イスラーム革命」こそ、「大西亜戦争」勃発の世界史的事件で有
った。

イスラーム圏は、教徒数は十億人を超える大勢力では在っても、多数の国家、宗派に
分裂して居て、一つに統合、集約されて居る訳では無い。
だが、異教徒からの攻撃に対しては、程度の差こそ有れ、共感を以て対応する。
イスラーム原理主義者に執って最大の武器は、「反十字軍宣伝」で有る。
八百年前に西欧から受けた残虐野蛮な被侵略の思い出は、総てのイスラーム教徒にク
リスト教国に対する恐怖感と警戒感を維持させて居る。欧米諸国、クリスト教諸民族
に執っては、「聖地奪回」の「聖戦」では有っても、イスラーム諸民族から観れば、
残虐、野蛮な侵略以外の何ものでも無かったので有る。

欧米のイスラーム圏に対する侵出が強まる程に、イスラーム教徒の「反十字軍」感情
は昂揚し、益々多くのイスラーム教徒が、彼等の教義と信仰、価値観等を守る為に、
戦線に加わる。
それを抑える実力者は、世俗的な独裁者しか居ないが、西欧米の「民主教・原理主義」
勢力は、「独裁」否定の教条的論理を振り回して欧米と繋がる独裁者を追い落とし、
「アラブの春」なる幻想を撒き散らして、自己満足して居た。

だが、少数派たるスンナ派フセイン政権を破壊した跡に残ったものは、イラクの三分
裂で在り、後に、チュニジア・ベンアリ、エジプト・ムバラク、リビア・カダフィ政
権を潰した自称「アラブの春」に因って現出したものの実体は、「イスラーム原理主
義の春」で在った。アラブ・イスラームの民衆は、「民主的」に西欧米民主主義を否
定したので有る。
西欧米の民主原理主義者がお説教を垂れ無くても、イスラーム最高の教義は「平等」
で有る。無制限の「自由」は、砂漠の西南アジアでは、「死」を意味する。欧米民主
原理主義の価値観押売りは、イスラーム教徒の反発を招くだけで在る。

それでも、西欧米「民主教」勢力は、その教義をイスラーム諸国民に押し付け様と妄
動する。
現在の日本で「エホバの証人」と称するクリスト教系の宗教団体が布教活動を強めて
社会問題に成って居るのを見れば理解出来よう。
彼等は、宣教師的使命観に基づいて、時には命がけで布教、伝道に従事する。
イスラームに対しても、同様に執拗且つ暴力的に「民主主義(民主教)」の強要を図
る。だが、同じ一神教同士の西欧米「民主教」と「イスラーム教」とが融和、一致出
来る筈が無い。

親米イスラム国家が次々と打倒されて、イスラム原理主義によるイスラム国が台頭

親米イスラム国家が次々と打倒されて、イスラム原理主義によるイスラム国が台頭

結局は、欧米「クリスト教」や「民主教」
の侵略に対抗するイスラーム勢力に拠る反
撃、即ち七十余年前に、東亜で発生した「
大東亜戦争」と同様の「大西亜戦争」が継
続する他無いので有る。
無論、イスラーム勢力も分裂し、統一した
司令部や指揮中枢は存在しない。
だが、文化的価値観、文明間の戦争で存る
「大西亜戦争」を支える真の司令部は、政
治的、軍事的、形而下的勢力では無く、物
理的に把握、攻撃不可能な、形而上的存在
に在るので有る。即ち、「クラーン(コー
ラン)」こそ「大西亜戦争」の「大本営」
なので有り、イスラームの信仰が消滅、若しくは変質しない限り、同戦争は継続する
事に成る。

 

 

「資本主義」と「民主主義」の危険性

ー「利他」「謙譲」「自省」無き論理ー

人類は大地自然より発生した。
故に、自然から遊離した人間は存在せず、存在しても成らない。
古来、世界の全ての文明が、自然との交わりと調和の中で、暦法を定め、自然の秩序
に従い、自然の中から生活、生存に必要な物資を生産、活用して生存して来た。
生きとし生けるものの総てが、自然と共に生存して来たので在る。

だが、人類の知能が高度化、複雑化して、「物質文明」が自然力に打ち勝つ、或いは
抑制可能との意識、思想、観念が増殖するにつれて、大地自然に対する「人類の奢り」
が、目立つ様に成った。
古代支那の「治水」事業には、「神」に生贄を捧げる等、自然への畏敬の念が存在し
た。
然し、蘇連の「自然改造」、米国に因る「大量生産・大量消費」等々、大地自然を破
壊、汚濁し、当然在るべき自然環境を劣悪化させる傾向が、年々深刻化して居る。

その動因は、近代に誕生した「資本主義」で有る。「利潤追求の為の限界無き営為」
を財貨生産の基本理念とするその発想には、自己の経済活動の結果責任への責任感は
稀薄で有る。経営者は辞職すれば、責任を追求されず、株主は出資した有限責任を負
えば、それ以上の責任を問われない。
斯くて、当面の利潤追求の為には、将来の自然環境や地球そのものが危機に瀕しても、
意に介さないので有る。

彼等に執っては、資金調達や出資効率、経常利益等々に関心が有っても、彼等が現に
破壊しつつ在る自然環境には、興味が無い。
但し、利潤に関係すれば着目するので、「環境関連産業」への注目度は高い。
自然環境が悪化すればする程儲かると言う「阿漕な商売」で存る。
永続的な「拡大再生産」を企業活動、国家経済の原則と規定する現代資本主義には、
「国家的限界」「地球的限界」との「歯止め」が無い。何処迄も量的生産は拡大可能
と盲信して居る。

だが、人間の個人的な肉体的寿命に限界が有る様に、人類が依拠する地球にも限界が
有るので在る。
ここ二十年程、度重なる「異常気象」の都度、「生まれて初めて」「百年に一度」等
々の言葉を聴く。日本だけでは無く、全世界で「初めて」が乱発されて居る。
利潤の為には親でも殺し兼ねない資本主義の悪弊が全世界を汚染、汚濁した結果が、
その原因で有るが、一向に自省、反省、改善を図る様子は見られ無い。

その「資本主義」を守るのが、「民主主義」で有る。概念的に相反する、個人的欲求
の「自由」と社会的な「平等」とを同時に保障しようと言う、前提からして論理的に
矛盾した思想で有るが、「経済活動の自由」を保障するその考えは、資本主義に執っ
て都合の良いもので有る。

米国型資本主義で法的に規制するのは、「自由競争」を維持する為の「独占禁止法」
や各種の経済法で有るが、基本的に経済活動は自由で有り、生産、流通、宣伝、消費
等に上限や規制は設定しない。
故に、過剰な利潤を追求して、過剰な生産と消費を社会に要求する。無論、狡猾な宣
伝を通じて自己の意志で購入、消費したと思い込ませる。

その結果として、米国人の大半は肥満体でdebu
有る。国民の一割以上が貧困とされる米国
が、世界有数のブタ国家と成って居る理由
は、「民主主義」で存る。食欲、飲欲を満
たす「自由」が全面的に承認、保障されて
居るが故に、その上限や限界を意識する事
無く、ひたすら食べたいだけ食べ、呑みた
いだけ飲むので在る。
米国「民主主義」の詐欺師的体質を表わす
典型例に、所謂「アメリカン・ドリーム」
なる語彙が在る。米国には総ての国民に、
各々の分野で成功者と成る「機会の平等」
が与えられて居ると言う謳い文句で有る。

確かに、各界で大成功を納めた所謂「立志伝中の人物」は若干は実在する。
だが、同様な「夢」を抱いた無数の人々の内で、一体何人が夢を実現出来たのか。
その成功確率たるや微々たる数値に過ぎない。
圧倒的多数は実現出来ない。事実上、「アメリカン・ドリーム」は「夢想」に過ぎな
い。処が、この宝くじ的確率の「成功」を吹聴して、米国「民主主義」社会肯定の幻
想を国民に与えて洗脳する。
「民主主義」とは「詐欺」で有る。選挙時の公約の様に、言葉巧みに他人を騙す事に
秀でた者が、より多くの割り前を獲得する反道徳的な思想、信仰に過ぎない。

「欧米物質文明」の犯罪性

ー「自然の摂理」「地球的限界」を無視ー

人類は、過去あまたの「文化圏」を形成して来た。文明史家達は「文明圏」と呼ぶが、
物質的な「文明」と精神的な「文化」とは、似て非なるものと考える。
愚生の主張する「文化圏」とは、可視的、物質的な三次元空間に、不可視的な「時間
空間」と「社会空間」を融合した「五次元空間」としての「文化圏」で在り、それが
人類史の単位と成って居ると見做すもので有る。
愚生は、これを「文化史観」と自称して居る。

「文化圏」には独立したものも在れば、隣接して影響を与え合うものも在る。無論、
文化が相違するので有るから、協調、協力するよりは、対立、抗争する場合が多い。
人間個人の一生と同様に、「文化圏」も又、「誕生」「成長」「隆盛」「衰退」「滅
亡」を繰り返す。
然し、人間個人が肉体的生命を喪失した後でも「遺伝子」や「想い出」等を通して生
命を継続して行く様に、「文化圏」もその文化の一部を伝承して行く。
それ故にこそ、人類の永続性は存在するので有る。

自然界の一生物で在る「人類」には、他の生物同様に、生存の本能が存在し、子孫を
残して各種の生命を受け継いで行く生物としての責務が与えられて居る。
それは千古不変の「自然の摂理」で有り、従来の「文化圏」の多くは、その責任を担
って来た。

だが、前章で指摘した様に、近現代の「西欧米文化圏」は、既に、この「自然の摂理」
に違背、違反して居る。
過去に存在して来た総ての「文化圏」は、自然の猛威で滅ぼされる事は存っても、自
然を滅ぼす事は無かった。
然し、現代の「欧米物質文明」は、少なくとも、従来の人類が故郷として居た自然環
境を急速に破壊しつつ有る。
今夏、全世界各地で「生まれて初めて」の大洪水が発生し、現在も新たに発生の情報
が飛び交って居る。
逆に、北支、アフリカ等では、大旱魃への対策が論議され、「異常気象」の影響拡大
は、留まる処を知らない有り様で在る。

南太平洋の海亀や南極のペンギンの胃袋から

鉱物のクラゲと間違えてビニール袋を食べてしまい、結果、消化不良で死んでしまう亀が続出

好物のクラゲと間違えてビニール袋を食べてしまい、結果、消化不良で死んでしまう亀が続出

合成樹脂系のゴミ等が発見されてから、かな
りの年月が経つが、「地球温暖化」のみなら
ず、「欧米物質文明」の総体としての破壊性
が、地球全体に拡散し、全世界を汚染して正
常な自然現象を異常化させて居る。

その好ましく無い世界の劣化現象を食い止め、
正常化するのは簡単の様にも見られるが、現
実には容易では無い。
直面する種々の問題点には、危機感を抱いて
も、その本質的な原因を認識し、対応しなけ
れば、この危機は解消しないので存る。
世界の自然及び人類に脅威を齎して居る直接的な発生原因
は、「欧米物質文明」で存るが、それを拡大し続けて居る
根本の要因は、「西欧米文化圏」の社会、経済構造や政治
体制、そして、何よりも思想や「価値観」で存る。
前にも指摘した様に、際限無く利潤を追求する「資本主義」は、「地球的限界」を無
視して拡大再生産を継続し、「民主主義」はその経済活動の「自由」を保障する。
資本主義に対して「分配」の「不平等」に異議を唱える「社会主義」も、拡大再生産
そのものには反対しない。
「イスラーム教」の教義には、資本主義に反対する部分も存るが、欧米物質文明の源
泉は「イスラーム文化」で在る。彼等は、必ずしも近現代欧米科学を否定はしない。

所謂「ブリスク諸国」を始め、アジア・アフリカ・中南米の小国に迄、拡散しつつ在
る「欧米物質文明」の破壊性と危険性を阻止、抑制、廃絶する勢力は、今の処、微々
たるものに過ぎない。
人類は、この儘、滅亡への途を暴走し続けるのであろうか。

「八紘一宇」の現在的意義

ー滅亡に瀕する日本民族と人類を救えー

この葉月、二本の電映番組を観た。
大東亜戦争中、最大級の激戦地で在った「ペリリュー島」を主題にしたもので有る。
周知の様に、「中川州男大佐」率いる陸海混成約一万名の我軍が、制空権や制海権の
無い中で、数万の米国海兵隊を苦しめ、三カ月近くも最後の一兵が戦死する迄、戦い
抜いた栄光の戦場が「ペリリュー島」で存り、我國史に燦然たる武勲を発揚したのが、
皇軍の敢闘で有る。

だが、反日「日放協」の制作した番組は、米国の海兵隊撮影要因が天然色画像で撮っ
た映像や米兵の回想を中心に編集して居た。
「刺身のツマ」「言い訳」として日本側の取材を少し載せては居たが、視聴して居る
内に、自然と米国側の視点に立脚する様に、制作されて居るので有る。
「日放協」は、我軍を「日本軍」と第三者的、若しくは「敵軍」的に表現し、それと
戦う米国軍の苦戦、大量の死傷者、発狂者等々の苦悩を強調する。主人公は米軍なの
だ。

「GHQ反日体制」の支配下に在る「反日日放協」は、当然「大東亜戦争」と謂う公
式名称は使用せず、日本軍が三名の米兵を木に縛り付けて銃剣で数十回も刺して殺し
た、等と言う米兵の「証言」を無批判に垂れ流す。
本当に目撃したのか、他人から聴いたのか、単なる噂であったのか、一切追求しない。
「吉田証言」や自称「慰安婦証言」を全く裏付けも取らず、「日本性悪説」に基づい
て事実扱いする「朝日新聞」と同様で有る。

逆に、海中で投降しようとする日本兵を米兵が銃撃して射殺する場面は、一切非難し
ない。GHQプレス・コードに今も呪縛されて居る日放協の立場は「反日無罪」で存
る。
又、これ等の映像を現在迄、覆い隠して居た米国政府、米軍に拠る報道、言論統制へ
の批判も一切ない。日本政府や我軍のそれに対しては、徹底的な非難、攻撃するので
有るが。

唯一、改善されたのは、「日本悪玉論」を後退させた点で有る。従来は「日本、日本
政府、日本軍が悪かった。誤っていた。」との反日主張が基調と成って居たが、今回
は「戦争」を「悪玉」に設定して、「戦争が悪かった」と責任の所在を誤魔化した。
だが、これには無理が有る。「戦争」と言う生物や責任を有する主体は存在せず、戦
争の「当事国」に責任が有るので存る。
前述の如く、我國に対して、不義、不当、不法の侵略戦争を行なった米英、蘇連等の
侵略国こそ諸悪の根源で存って、非難、糾弾すべき対象なので有る。

parao後にパラオが米国から独立をはた
した時、
ペリリュー島守備隊を讃
え、
日の丸をもじった、太平洋の
青に月。

そして日本に失礼だからとわざと
中心を

はずした国旗を制定しました。

 

 

日放協とは異なり、「フジ・テレビ」が十五日に放映した二時間物の放送劇は、「ジ
ャパン国」に堕した現在の知識、認識、発想、価値観からの制作では在ったが、一応
は我軍の健闘を肯定する立場から描かれて居た。
無論、不正確さや、虚構も散在しては居たが、我國を「肯定」する放送劇が葉月十五
日に放映された意義は大きい。反日体制が緩み、綻び、「日本回帰」の潮流が、昂揚
しつつ在る社会の反映なので有る。

但し、「第十四師団指令本部」なる看板には驚いた。「師団司令部」が、「指令」
「本部」と二重に表記を間違えて居たので有る。
反日体制の支配下で「軍事音痴」に狂育された偽日本人、ジャパン人の国語能力の低
下振りには失笑さえ浮かばなかった。
撮影が完了してから間違いに気付いたので有ろう。番組の最初に、「必ずしも当時の
用語通りでは無い」旨の字幕が出ていたが、「日本は遠く成りにけり」の感慨ひとし
おで遭った。

「終戦」の「詔書」奉戴、葉月十五日前後のマス・メディアでは、依然として反日的
番組や紙面が垂れ流されては居たが、その反日色は、以前よりもかなり稀薄化して居
た。
大きな歴史の潮流として、「偽日本」から「真正日本」への回帰現象が明らかに目視
可能に成って来て居る。「反日朝日」の所謂「慰安婦記事一部取り下げ」事件も、そ
の社会現象の流れに沿ったもので在る。
だが、一方で「米国化」「ジャパン国化」の唾棄すべき対米隷属化、植民地化の動向
は、顕著に侵行して居る。

「国家」とは、単独又は複数の「民族」が、自民族の生存と利益を維持する為に、国
際社会に構成する機関、機構で存り、無機質的な枠組みで在る。
有機的な実体、生命体としての「民族」とは、他の民族とは異なる言語、歴史、宗教、
文化、伝統、価値観等々を共有する人間集団で有る。

現下の偽日本では、反日体制の下で否定されて来た「国」の価値が回復して来つつ有
る。公的機関の「国旗」掲揚率は上がり、学校での「国歌」斉唱率も上昇して居る。
「尖閣」以来、「国土」意識も高まり、「嫌韓・嫌中」大流行で「国民」感情も昂揚
して居る。一見、好ましい現象では有る。

だが、「国家」とは枠組みに過ぎない。
仮に、中共が「中性子爆弾」を開発して我國に落とし、日本民族を絶滅させた上で、
一億人の漢民族を移住させたとしても、「日本国」と言う「国号」を使用し続ける事
は出来る。

ならば、現在の「日本国」に居住して居るのは何民族なのか。朝から晩まで「米英語」
や低劣騒音の「米国音楽」が飛び交い、企業の名称も横文字かカタカナ。「米英語狂
育」が小学生低学年処か、一部では幼稚園児に迄強制され、対米植民地根性のバカ親
共がそれを歓迎する醜状。

文化の中核を為す言語が米国化すれば、最早其処に存在するのは「米国民族」なので
存る。社会の流行や価値観迄、多くの分野で米国化が汚染、侵行し、今や日本民族は、
精神文化的に滅亡寸前で存る。
米国は、中性子核を使用する事も無く、日本人大衆の愚劣さを最大の武器に悪用して、
「日本国」を「日系米国民族」に乗っ取らせる謀略に成功しつつ有る。

だが、三千年の「國史」と「國體」を誇る我日本民族が滅亡する筈が無いし、させて
もならない。
この民族滅亡の危機を齎せた主因は、反日連合国の「日本占領」と、昭和二十七年以
後の米国、米軍に拠る事実上の「日本占領の継続」で有る。(日米安保条約)
占領中は、未だに「戦争」は講和しては居ないので存る。
吾等、日本民族の心情を保有する草莽は、反日的社会環境に在って、真の民族独立に
向けて「大東亜聖戦」を戦い続けて来た。
現在も継戦中の「大東亜戦争」は、日本民族の生存と存続を賭けた極めて「文化的戦
争」なので存る。

我國では「万葉」よりも前から「和歌」が詠まれて来た。皇族から庶民に至る迄、階
層に関係無く、日常の想いや理想、思想、出来事等を「詩歌」に表現して来たので在
る。
この様な民族は、世界に例を見ない。
米国の低劣な文化が全世界を覆い、金品や物質にしか価値を見出せず、大地自然を破
壊して、自滅の道を爆走する人類を善導、領導する役割は、三千年の「國史」に裏打
ちされた我「國體」に基づく「八紘一宇」の精神文化と価値観を具現化する他無いの
で存る。

 

人   大   大  
類 の 東 未 東
は 意 亜 だ 亜               日本のこころ、八紘一宇
必 義 聖 終 戦hakkoitiu
要 今 戦 わ 争
と こ   ら
す そ   ず

 

 

【皇土 逍遥】 葉月

001京都府 八幡市

鳩ケ峰 山頂慰霊碑

ここ十数年、毎年独りで、
葉月十五日正午に慰霊祭を、
斎行して居る。
向いの山頂に在る石清水の宮
で太鼓の音が響き、下界から
サイレンの響きが聞こえる中、
英霊、戦没者の御霊に対し、
顕彰と感謝、慰霊を捧げる。

 

 

 

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