第二百四十四号 【目覚める獅子・日本】

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吾等平成維新の神風を巻き起こさん

                 撣亳 田中正明 先生鯉のぼり

一、我日本の伝統と文化を護り、我「國體」を護持せよ。
ニ、我国内外に蠢く反日反動勢力を打倒せよ。
三、諸々の逆差別・特権要求勢力を粉砕せよ。
四、『一日一動』天下・民族の為に、一日一回は活動せよ。
五、大東亜戦争未だ敗れず、諸卿、東亜諸民族と共に皇道を  邁進せん。

 

 

【目覚める獅子・日本】

ー神州不滅・我祖國は必ず復活するー

(神州の春、我國、至る処に生命萌ゆ)

ー陽暦・卯月、神州は神州なりを実感すー

 我國の大地自然は、どの季節にも何時の日にも、時々刻々に各々異なった表情を見せ、それ
で居て常に摂する吾等日本民族を抱擁して呉る。この限り無く偉大で優美、温容な、四季折々
の大自然に恵まれた私達は、世界で最も贅沢な生活を享受可能な環境に生きて居る。それを自
覚、意識出来なく成ってしまったジャパン人も急増しては居るが、現在でも猶多くの日本人の
深層心理には、日本民族の心情と感性が息づいて居る。

遠くに出掛け無くても、自身の周辺を自然体で観察すれば、好奇心を湧き立たせる様々な自
然現象が目に映るであろう。
愚生の仮寓でも蔦、菖蒲、鈴蘭等の新芽が、卯月初日に芽吹いた。前日にはアケビの黒い花が
開花して居る。隣家では染井吉野の桜が満開で在り、少し遠方には「背割堤」の桜花の帯が緑
の堤から際立って鮮やかに、そして艶やかに眺望される。

背割り堤三日の早朝には、その「背割堤」へ訪れた。
昭和三十年代の東映時代劇で大名行列の撮影に必ず使用さ
れた松並木は、その後、十三丁、四~五百本の桜並木に植
え替えられて、十数年前からは、近畿地方有数の観桜名所
として次第に知られて来た。
近江から流れ来たる「宇治川」、伊賀、大和から清流を集
める「木津川」、丹波地方南部の水を唯一放流する「桂川
」。その三川が合流する山城洛南の景勝地が「背割堤」で
在る。
西に「山崎・天王山の合戦」の故地を臨み、東に「石清水八幡宮」の鎮座まします男山の神域
を奉迎する歴史と自然に恵まれたその堤は、木津川と宇治川に挟まれ、常に豊穣の水分と遮る
ものの無い陽光に恵まれて、桜の大木を日夜育んで居る。

本居宣長公の境地と共感するには、中旬に至って寓居に山桜が開花するのを待たなければなら
ないが、背割でも、旭光に輝く染井吉野の光景は絶景で存る。
近年は早朝でも写真機を携えた老若男女が増加しては居るが、昼間の混雑に較べれば閑散とし
て居る。

前年に架け替えられた「御幸橋」から桜花の堤全景を見渡して堤に入り、往路は堤上を桜花の
下に、青空を垣間見ながら進み、復路は川原に降りて旭光燦然と輝く光景を賞でつつ還る。
例年の観桜を楽しんだが、本年は、新しい発見をした。
三川合流地点に在る河川水位測定所の建物が、「雀の館」に変貌して居たので存る。
桜花は一弁づつ散るが、時折花そのものが落ちている事が在る。雀や鵯の為せる悪戯で有る。
その小さな建物には、推定数十羽の雀が出入りして居た。

数日後、嵐山の新緑と桜を満喫した。やたらに外国人観光客が多いが、それも自然回帰、日本
迎慶の動機と成れば有り難いと思う。
その数日後、琵琶湖西北岸の「海津大崎」の桜を初見した。琵琶湖北岸の清冽な湖岸に沿って
数里の桜街道が続いて居る。観光客は多いが、その土地を荒らす者は少ない。
大崎近く「忠魂碑」の広場が在り、近在出征皇軍英霊将兵全員の氏名を、平成の御代に入って
明記した石板が安置せられて在った。其処で遊ぶ小学生の校外学習の児童には、思想を超えた
日本民族の純朴さを感じられた。

桜の季節を楽しむべく北陸路を富山へ至ると予想外の感激を体験した。

富山護国神社

富山護国神社 社務所

富山駅から南に富山城を経て、護国神社に拝
礼したが、平日なのにそこそこの人出が有り、
社殿には多くの啓蒙、啓発の文書が無料配布
されて居たので有る。正に活きた愛国活動を
実践して居る。斯かる地方からの愛国のうね
りこそ、無機質的な大都市をも変革する動因
たり得る。
同神社近くから、「松川(旧九頭竜川)」の
堤防に沿って一里近くも在る桜堤を歩いたが城跡中心に夜間照明、露店販売等の催しが有
るにも拘らず、東京の上野公園や大阪の大坂
城公園等で視られる「場所取り」も無く、人
々が自然体で観桜と知己との交流懇親を楽し
んで居た。

その後、訪れた岐阜県高山市では、一部で早咲きの桜が数輪開花していたのみで、桜山八幡宮
や飛騨護国神社でも若干の雪が残って居た。然し、神社の活動は各々積極的で、地域の民族精
神護持活動に邁進して居られる様に実感された。
所謂大都市圏での信仰心の希薄さは、日本に限らず、米英仏独等々でも問題に成って居る社会
現象では有るが、少なくとも我國の地方では、社禝を祠り、英霊を顕彰する日常が、日々滞り
無く実践されて居るので有る。

皇國日本は猶健在なり。日本民族の健全な信仰心と豊富な季節感、更には高度の美意識が、
皇土の至る処に顕在、潜在して居るので存る。飛騨護国神社飛騨護国神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(「眠れる獅子」の末路と変容)

-今や、支那は「世界の害獣」ー

 英国宰相ディズレイリが胸を張って「今や帝国主義時代」と呼号して居た頃、支那では「同
治中興」が行なわれ、その結果富国たる「清帝国」は強兵を保有して欧米を駆逐する様に成る
であろうと予測され、「眠れる獅子」として、欧米列強は内心恐れて居た。
だが、明治二十七~八年の「日清戦役」で、当時欧米の大部分の人々がその存在自体を知らな
かった日本に、清があっけ無く敗北した事で、「眠れる獅子」は「眠れる豚」に転落した。即
ち、眠っている豚の美肉を棄てて置く法は無い。早い者勝ちにその肉塊を貪り始めた。英国は
長江流域を、仏国は広州湾沿岸を、独国は山東半島を、露国は満州、蒙古を実質支配下に置き
我国も福建省に利権を確保した。

袁世凱清王朝滅亡後に「袁世凱」が新たな漢民族王朝を創建しようと
した時に欧米列強が反対した理由の一つは、皇帝の下で漢民族
が挙国一致団結して欧米利権、利得の排除に向かうのを警戒し
た故とも考えられる。袁氏の新王朝樹立の夢は崩壊し、袁世凱
は憤死して、その後長く支那は分裂と半植民地化の状態を継続
する。

昭和三年に「蒋介石」国民党政権が樹立しても、それは「より
強力な国民党軍閥」に各地の軍閥が一時的に服従したに過ぎな
かった。

蒋介石

蒋介石の涙~「南京に大虐殺などありはしない」

例えば、山西軍閥「閻錫山」は、支那事変で蒋の重慶軍閥に従っては居たが、昭和十六年以後、我軍と停戦協定を結び、一切戦闘を行なわず、寧ろ中共「八路軍」掃討を我軍と共同して実施して居る。
敢えて付言するならば、当時山西軍閥が中共支配地で行なったかも知れない暴虐行為は、総て何倍にも誇大され、然も「日本軍に依る蛮行」に歪曲されて居る。

この様に、一時的に、局部的に漢民族主義が高まる事が有っても、基本的には「眠れる豚」の情況が続いた支那で、第二次大戦を狡猾に悪用した中共に依る暴虐な侵略に起因する再統一が実現した。
当「神風」前月号でも指摘した様に、中共に依る支那及び周辺諸民族に対する異常な暴虐、虐殺が、その後何回も繰り返されたが、それは多くの場合、国内
問題で存って国際的な「暴力革命輸出」の殆どは失敗して居る。

だが、兎にも角にも「統一」を行なった中共は、「白猫・黒猫論」の鄧小平以後、急速に資本主義
化の政策を実施して、「偽日本」からの巨額に及ぶ所謂「ODA(政府開発援助)」と国内の奴隷的
農奴的低賃金を悪用し、経済を肥大化させた。
その結果、十数年前から「世界の工場」等と自称する迄に至って居る。
然し、闘争と蛮行を重ねて来た中共が、人間的な建設を行なう筈が無い。中共権力者に依る資中国の大気汚染
本主義的過剰利潤追求政策に因って、農村は
疲弊し、都市には失業者が溢れ、所得格差は
拡大の一途を辿り、無意味な拡大再生産は大
気を汚染し、水質を汚濁し、土壌を有害化し
て、本来ならば人間のみならず生物の生存に
不適当な自然環境を日夜増大 させて居る。

昨今、原子力発電大国のフランスでさえ、大
気汚染が深刻に成って居るが、中共の悪影響
も十分に考えられる。
中共は、支那人民及び域内少数民族を抑圧、
弾圧、虐殺するばかりか、周辺諸国へも露骨な侵 略を行ない、現に行ないつつ有る凶暴有害な
侵略組織で有り、今や「世界の工場」処か「世界の害獣」と成り果てて居る。
その政治的、経済的、環境的に駆除すべき「害獣」退治の最前線に立つのは日本しか無い。目覚
めつつ存る日本人が、人類守護の任に当たるべきで有る。
今後、予想される中共の「尖閣」「沖ノ鳥島」への侵略行為は、多くの日本人の民族精神を覚醒す
る効果を齎すに違い無い。

 

(「偽日本」の醜状と劣悪化)

-何処迄落ちる、低劣怯懦幼稚化社会ー

 だが、「世界の害獣」が侵略を目論む現下「偽日本」は、余りにも脆弱な「反日体制」が支配して
居る。

政治面では、「GHQ(連合国軍総司令部)」が策定した「反日占領基本法」自称「日本国憲法」なる
ものが実定法的に支配を続け、独立時期に教育を受けた世代が現役を離れるにつれて、「反日
無罪」「愛国有罪」の社会的「反日価値観」が定着して居る。
則ち、「日本及び日本的なるもの」を根底から否定し、過去の日本は全面否定、現在の日本には
自己主張や利益追求を認めず、未来の日本には、「悪の権化たる日本」は存在を消去すると言う
精神文化的日本民族絶滅戦略が功を奏しつつ存る。

独立時期の真正日本では、子供は「國の宝」とされて居た。だが、現在の偽日本では、親が我子
を殺害する事件が絶えない。それ処か、日教組の女子教員達は、「(我子を)産む産まないは
女性の権利」と主張して居る。つまり「(お腹の中の)我子を殺しても構わない」と広言して居
るので有る。
信じ難い冒涜的主張では有るが、「反日洗脳」に罹患して居る彼女等は、「日憲」に保障された「
権利」行使の一環として、抵抗も出来ないお腹の中の我子を殺しても構わないと、本気で思い
込んで居る。それで居て彼等の機関紙等には「教え子を再び戦場に送るな」と書いて居る。
「教え子」一人の身体的生命は「国防」よりも大切で有るのに、我子の命は、自分の都合や気分で
殺しても構わないので存る。
この恐るべき矛盾は、「反日洗脳」に起因する「反日無罪」の論理に支えられて居る。即ち「国防」
を否定するが故に「教え子を戦場に送らない」ので有り、「家族」への義務や紐帯、愛情よりも「
個人」  の利害、願望を優先させる為に、我子を殺しても良いので存る。

この「GHQ反日支配体制」下に強制、定着させられた世界無類の歪で醜悪な「偽日本社会」は、表
面的な物質的、本能的充足とは裏腹に、精神的、文化的、自然的高次元の価値観や生活様式を
喪失し、正に日本民族滅亡の危機に瀕して居る。

例えば、首都圏や京阪神地方で「核テロ」「核攻撃」「大規模自然災害」が発生し、電気ガス、水道
が二週間停止したならば、如何なる事態が発生するであろうか。
東京に居住する高齢者世帯、特に単身世帯ではかなり多数の餓死者、渇死者が発生するのは確
実で有る。
交通機関は略全面運休と成るから、備蓄揮発油、軽油等が消費されれば、歩行若しくは自転車
で 飲食物を探しに郊外迄放浪しなければならない。六本木ヒルズ
都心の高層住宅に居住して居る者は、水洗便所が使用出来ず、料理も出来ず、仮に水の配給が有った処で、数百段の階段を上下して運搬しなければならない。その様な事態は、「阪神・淡路大震災」の時にも発生したので有る。だが、「喉元過ぎれば熱さも忘れる」の譬え通り、震災後には更に高層建築が乱立し、日本人が大地から離れると謂う愚挙、暴挙を犯して居る。

昭和二十年、百五十以上の都市が米国の国際法違反無差別爆撃で破壊、炎上させられ、「終戦」後の「食糧難」とも合まって国民は飢餓に苦しんだが、餓死者は比較的に少数で済んだ。その理由は、当時過半数の国民が農山村に居住して居て、農林水産牧畜の第一次産業が自給可能で存ったからで有
る。
だが、現在では大部分の国民が都市に住み、食料自給率は四割を割込み、然も生産地は遠隔地に
偏在し、逆に消費者は大都市に偏在して居る。この様な「異常事態」の現状を異常と認識出来ない
現下「偽日本」は、救い様の無い砂上の楼閣とも言える。

社会のあらゆる分野で、反日的、反自然的異常状態が存在し、進行して居る中で、本来の我國
への回帰、独立の傾向も、近年顕著になって来た。

 

(青少年の民族独立意識覚醒傾向)

-歴史的事実と民族の道統は「反日洗脳」に打ち克つー

 政治的にはGHQ占領政策の悪弊、所謂「民主化」の汚染が有り、経済的には第一次産業軽視、
食料安保無視の弊害が大きく、教育に至っては、小学生に迄、米語を強要する等の民族絶滅策
動が続いている「偽日本」では在るが、平成の御代に入ってから、反日傾向の強まりに跛行して
従来の「日本性悪説」への疑問、反発が青少年中心に澎拜として沸き上がって来た。戦争論

一連の「小林よしのり氏」の漫画が話題を提供し、同時並行し
て社会問題、外交問題と成った北朝鮮に依る「日本人拉致問
題」が生起して、多くの日本人を覚醒させた。
日本は凶悪野蛮な「侵略国」で有り「加害者」で有って、現在は
勿論、未来永劫、反省と謝罪を続けなければならない、と言
う「GHQ創作反日神話」に基づく「反日洗脳」の一部が解けてし
まったので存る。
「日本人が被害者であった」と言う「歴史的事実」が判明して 「
反日体制」の欺瞞や虚構、不合理に、青少年が気付き始めた。
「ならば、所謂従軍慰安婦問題なんて本当に問題なのか」
「南京大虐殺なんて本当に存ったのか」等々、「GHQ」や「周辺
反日諸国」がデッチ上げた大ウソの一角が崩れれば個々の小
ウソは、次々に化けの皮が剥がれて来る。

無論、数十年間に渡って存続した「反日体制」の下で、様々な利権や地位、生活の糧や思想的安
定を得て来た多くの体制順応者に取っては、例え事実では有っても、「日本」を肯定、或いは自
己主張する事は、自己の多くを否定する事に繋がり、精神的に不安定を齎すであろう。故に、
「九条の会」等と言う「反日偽平和教」の流行も発生するので在る。

「拉致問題」で「偽日本」の「半独立」「非独立」の現状に気付いた青少年の前に、所謂「リーマン・シ
ョック」や中共の環境汚染を通じて、拝金教「資本主義社会」の愚劣さ、醜悪さ、危険性が強く
認識される様にも成った。反欧米文明、自然回帰の動向で有る。

又、尖閣諸島への中共に拠る露骨な一方的侵略行為への反発と、虚偽で固めた執拗な韓国から
の 反日攻撃への反感は、青少年のみならず、多くの日本国民に民族意識の昂揚を齎して居る。
所謂インター・ネットの普及に因って、反日マス・メディアに拠る情報、言論独占支配は崩れ
つつ有り、最早「反日宣伝」「反日誘導」「世論操作」に翳りが見え、朝日新聞等でも「中共様」「韓国
様」 から少し距離を置こうと編集方針を変化させつつ在る。

今や、「靖国神社」の祭礼には若者の姿が多く視られ。インターネット等での反韓・反中共の発
言は多出して居る。
「偽日本政府」も、韓国や中共に対しては、若干でも反論を主張出来る様に成り、自立に向かう
日本を抑える為に、従来は陰に隠れていた最大の反日国家たる米国が、表面に出て来て安倍政
権に露骨に反日圧力を掛ける迄に成って来た。米国を始め反日諸国は、皇國の再興は勿論、日
本が「普通の国」に成る事さえも許さないので有る。日本復活
だが、歴史的事実に目覚めつつ存る日本人は、必ず復活する。

 

 

 

(現在の日本に存るこれだけの資源)

-「意識」と「意志」で活用可能ー

 我國の領域は、陸地面積は世界六十二位と中規模では在るが、海洋面積は世界六位で、約四
百五十万平方粁の「排他的経済水域」を保有して居る。
無尽蔵の海洋資源を、「知力(知的資源)」に依って最大限に活用すれば、我國は「資源大国」に
成る事が可能で有る。

数十年前から知られている「マンガン団塊」や近年話題に成って居る「メタン・ハイドレード」等
の 資源は、自然環境を汚染破壊しない様な配慮の下で活用出来れば大いに有効で有る。自然資
源の活用には、不自然、反自然の人為を排する事が必要で有る。
近年、所謂「途上国」でのコンクリート建築の急増に伴い海砂の乱掘が自然を破壊して世界各地
で海岸浸食を進行させて居る。北米中心の地下深くで行なって居る「油母頁岩」からの所謂「シェ
ール・ガス、オイル」の乱掘も自然破壊の最たるもので、人類は遠からず大地自然から強烈なし
っぺ返しを受けるであろう。

江戸時代の我國は、世界最大の産金国で在った。だが、幕末・維新の激動期にその大半は欧米
諸国に騙し盗られ「桜田門外の変」の後に鋳造された万延小判は、開国以前の天保小判一枚に対
して四枚で交換すると言う低品質の通貨に成り下がった程で在った。
又、同時代の我國は、世界有数の産銅国でも在った。我國からの輸出の決済にも活用され、オ
ランダのアムステルダムで全世界相手に取引きされた事実も有る。

だが、その後、産業の量的拡大も有り、我國の、特に鉱産資源は輸入に依存する傾向が強まっ
た。高級宝石を除いて何でも少量は生産されるので「鉱物の標本国」等と自嘲しながらも採掘し
ては居たが、昭和四~五十年代には、輸入物に押されて殆どの鉱山が閉山を余儀なくされた。
所謂「高度経済成長」が、国内に実在して居る資源を放棄すると言う愚行を犯した。

現在、我國に実在する最大の資源は、大量に集積された「知識」と「人材」で有る。
国家としての「方向性」や「目標」、「意志」「決断力」等は、枯渇、若しくは不足しては居るものの、
知的水準はかなり複雑高度で有る。この「知的資源」こそ、これからの我國と世界人類を領導
し、人類を滅亡から救出する必要且つ十分なる条件なので有る。

 

(「民族独立」と「人類存続」の二大目的)

-真正日本民族こそ、世界人類の領導者ー

我國に執って必要な動力源は、大地自然への負荷が最も軽微なものでなければならない。
即ち、愚生が従来より主張して居る「自然力」の活用で存る。
化学変化を伴うものとしては、「水素」の酸化に伴う動力が無公害で好ましい。
人類に取って自然とは、破壊するものでも無く、保護すべき対象でも無い。自然から生まれた
人類は自然と共に生きるべきなので存る。
だが、今や人類の営為は「地球的限界」を遥かに超えて、ひたすら急激に自然環境の破壊を侵し
続けて居る。即ち、自滅、自死への愚かな道程を暴走して居るので在る。

インドの大気汚染

インドの大気汚染

世界一の人口を有する中共の首都北京に
於ける大気汚染は悪名高いが、数値的に
はインドのニューデリーはそれ以上に酷
い状態で在ると言う。両国併せて二十五
億人以上もの国民が、現在の数倍或いは
十数倍の所得獲得を目指して暴走して居
るので在る。
それだけ、自然破壊も過激化する事が当
然予想される。
両国の国民の多くは、悪い意味での個人
主義、家族・同族主義で在って、国家、
人類の公益には無関心、或いは奉仕の精
神が少ない。自分達だけが、経済的利潤を獲得出来るならば人類が滅亡しても構わない程度の
意識の者が多い。
その他の所謂「新興国」にも、その手の自然破壊、環境破壊の要素が蓄積して居る。

この儘、人類の欲望放任の情況と価値観が継続すれば、人類は滅亡するしか無い。
その原因を造り出した西欧では、自己責任の意識は希薄なるも、この儘自滅する愚を避ける為
に様々な環境保全の動向が見られる。
だが、文化程度の低い米国や旧蘇連たる現露西亜では、環境問題への意識は低く、新興国に至
っては無いに等しい。

唯、新興国に迄至って居ない所謂「後進国」では、西欧米物質文明や資本主義の汚染を余り受け
ては居ない為に、自然破壊を行なって居ない国家、地域も相当存在しては居る。
その様な「非汚染地域」が汚染しない様な方策が考慮されるべきでは有るが。現実にはその様な
組織や国家は存在しない。

ならば、滅亡に瀕した人類世界を救済する為に、世界の価値観を領導する国家をこの世界に確
立 すべきでは無いか。
だが、その指導的国家に適合するには、米国、露西亜、中共の何れも、資格に欠けて居る。
その三ヶ国共に、世界最大級の大量虐殺、大量破壊の当事者で有り、現在もその蛮行を世界各
地で実行して居る犯罪国家で在るが故に、人類救済の資格も論理も価値観も保有しては居ない
からで有る。

逆に、世界を救済する国家が有るとすれば「四方の海 みなはらから」と御製で仰せられた明治
陛下の治しめ給うた真正日本しか無いので有る。「四海同胞」の価値観は、一神教の「絶対神の
下での平等」とは異なる。
上下関係では無く、横並びの人間関係で有り、人間の横には大地自然が同じく横並びに併存し
互いに与え合い、癒し合い、楽しみ合う相互補完共存関係に有るので在る。

原爆ドームだが、六十九年前に、「原爆」なる非人道、反自然、反人類暴虐兵器を我國に使用して、大虐殺を犯し乍らも謝罪処か、居直るだけの野蛮国家米国に支配された儘の現下「偽日本」には、人類を救済する処か、国民の安寧を保全する意志も能力も無い。
故に、吾等真正日本民族の義務、責務は、まず。この「偽日本」をせめて「普通の国」に格上げし、諸々の民族教育を経て「皇國日本」を再興する事で存る。

そして、人類の在るべき姿を全人類に提示し、違背する国家、民族、宗教等に対しては、説得で応じない場合には、武力を行使しても人類存続の為に行動する軍事力と価値観を確立すべきである。
滅亡の危機に瀕する人類世界を救済するには、まず日本民族の独立達成から。
諸卿の敢闘を切に希望、熱望、切望する。yoake

 

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