吾等平成維新の神風を巻き起こさん
撣亳 田中正明 先生
一、我日本の伝統と文化を護り、我「國體」を護持せよ。
ニ、我国内外に蠢く反日反動勢力を打倒せよ。
三、諸々の逆差別・特権要求勢力を粉砕せよ。
四、『一日一動』天下・民族の為に、一日一回は活動せよ。
五、大東亜戦争未だ敗れず、諸卿、東亜諸民族と共に皇道を邁進せん。
【中共、韓国に学べ】 第二百四十三号 平成26年弥生15日発行
-中共、韓国、米国等に依る大虐殺、暴虐行為、虚偽宣伝等々の
歴史的事実を暴露、周知徹底する記念館を造るべしー
(暗殺犯人を肯定、礼賛する中共、韓国)
ー「反日無罪」の超国際法的対日原則ー
反日気違い女「ぼくきんけい」は、同じく反日扇動悪用男「周近平」と共謀共同して、
満州の奉天ー中共名、東北の瀋陽ー駅構内に、伊藤博文首相を暗殺した「安重根」を褒め
称える記念室を創った。
中共や韓国でも、建前では暗殺を否定しては居るが、相手が「日本及び日本人」ならば、暗殺、謀殺、虐殺等々何でも是認するのが、「反日ヒステリー」罹患、悪用国家たる両国の基本姿勢で存る。
それを助長、増幅させて居るのは、一切の拒否、拒絶、反論、反撃を放棄して、ひたすら弁解、釈明、謝罪、逃避、先送りに終始して来た「GHQ反日体制」下に在る「偽日本政府」の反民族的愚策、怯懦、無恥、無能、無責任で存った。
流石に、明治の元勲で存り千円札の図柄にも成った伊藤公並びに我国への今回の暴挙には、若干の異議を唱えたが、駐日大使を追放する訳でも無く、経済制裁を加える事も無く、結果的に黙認して居る。
「敵は本能寺に在り」とは、正に所謂「戦後」の日本を的確に表現した語彙で有る。
国内の「敵」を打倒、掃討して、この「偽日本」をせめて「普通の独立国・日本」に変
貌させ、最終的に「真正日本」「皇國日本」に恢復させるのが、吾等日本民族の義務、使
命で有るが、七十年近くも継続され続けて来た「反日洗脳」の精神汚染は、中共の大気汚
染よりも悪質、深刻で、容易には、洗脳から完全に覚醒する様には見えない。
だが、偽日本社会が急速に「正常化」と「異常化」とを同時進行させているのも事実で
は存る。
電車内の週刊誌の吊り広告を見れば、その傾向は明白に成る。中共や韓国への反発や反感
が溢れている。
以前で存れば、「反日」勢力からの一方的な「日本叩き」が主流で存ったが、今ではかな
り強烈な「反韓」「反中」記事が、大手を振って誌面を賑わし、反韓図書も大量に販売さ
れて居る。
他方では、非日本化、脱日本化、「西欧米化」の愚劣、醜悪な対欧米奴隷化現象が急激に
進行すると言う民族滅亡の危機も存在しては居るものの、取敢えず露骨極まる中韓の反日
攻撃の結果、日本民族の民族感情は、覚醒しつつ有るのである。
然し、攻撃に対する反撃と言う「受け身」の姿勢には、「防衛」は有り得ても「勝利」
は無い。「ウソ」で固めた「歴史認識」なる荒唐無稽の反日宣伝で、執拗に日本攻撃を続
ける中韓両国に対しては、日本側から歴史的事実を提示、「攻撃」して、奴等の虚偽、虚
構、欺瞞 等々を根底から否定、非難、粉砕、撲滅しなければならない。
その為には、我日本「國史」の偉大さ、正当性を誇示すると共に、中共や韓国等の汚濁に
満ちた、虐殺の鮮血に塗れた、虚偽と陰謀が横行した真実の中共史、韓国・朝鮮史を暴き
出し、衆目に曝さねばならない。
その意味で、「大日本生産党」機関紙「中央情報通信」平成二十六年二・三月合併号紙
上で提起された、日本国内に「天安門記念館」を建設しようとの提案は、誠に時宜を得た
良策と言えよう。
但し、「天安門」に限定する必要は有るまい。
「天安門事件」での死者、被虐殺者は、精々一万人足らず、「文化大革命」では、推定数
百万人もの支那人が、中共に大虐殺されて居る。その他、無数の虐殺、虐待、残虐行為、
国際法違反を中共は繰り返して居る。
朝鮮・韓国にしても、大日本帝国の統治下での善政の一時期を除いて、権力者や暴民に依
る敵対者、一般民衆に対する暴虐行為は、酸鼻の極みを続けて来た。
別に、中韓両国の様に歴史を捏造、歪曲、改讒、創作する必要は無い。事実を事実とし
て展示、公開すれば良いので有る。
「文革・天安門大虐殺記念館」「朝鮮・韓国残虐史博物館」等々、造れば展示内容の不足
に困る事は有り得ない。
(李氏朝鮮、金氏朝鮮、大韓民国の蛮行)
-日本人には想像も着かない暴虐の数々ー
韓民族は、古来強国の侵入を受け、強者には従順で有るが、その反動として弱者には居
丈高に成る傾向が強い。所謂「事大主義」で有る。
弱い立場の典型は貧農で有り、囚人で有る。
取れる筈の無いのが貧農の経済力の筈だが、その貧農から財物を収奪するのが、朝鮮の両
班や地主の特技で存った。無論、強制力としての罰則、拷問等が存在して居たからで有る。
全く抵抗出来ない囚人に至っては、その弱い立場への加虐的な処罰、処刑が普通に行な
われて居た。例えば、囚人が増加すれば、死刑囚では無くても「間引き処刑」とも称すべ
き囚人整理が時折行なわれていたと言う。
我国の江戸時代でも死刑には五段階の等級が在ったとされて居るが、それは首を晒すとか
の「名誉」を貶めるもので在った。
一方、朝鮮での多種多様な処刑方法は、死に至らしめる過
程で手足の骨を折る、或いは切り落とす。
眼、鼻、耳等を損傷させる等の「身体的苦痛」を与えるも
ので在った。
その拷問、処刑の風習は、現在でも北朝鮮、「金氏朝鮮」
の監獄や強制収容所で継続されて居る。
死体に至っては囚人以上に無抵抗で有るから、朝鮮の権
力闘争に破れて我国に亡命していた「金玉均」は、清国に
騙されて上海に誘き出されて暗殺された翌月、朝鮮に遺体
を引き渡された。
朝鮮政府は、その遺体を分断して、国内の各道に晒した。
相手が弱ければ、或いは負ければ徹底的に痛めつけるのが、「朝鮮流」なので有る。
韓民族最悪の災禍は、後述する「朝鮮戦争」で有るが、その前哨戦とも言うべきものが
、大阪府程度の面積の済州島で昭和二十三年から十年近くも続いた、近年「済州島四・三
事件」とも呼ばれる局地的な内乱で存る。
北朝鮮系の「南朝鮮労働党」が、同年四月三日に蜂起したもので存るが、山岳を利用した
遊撃戦が長期間続き、島の人口は約三十万人から十分の一に減少したと言われて居る。
狭い島での長期間に度る内乱で、板挟みと成った一般住民は政府、労働党双方から拉致、
拷問、虐殺を受け、被虐殺者数は三万から八万人迄、諸説が有る。
長年、隠蔽されて来たが、所謂「民主化」の中で発掘されて来た醜い事件で存る。
日本名「朝鮮戦争」、韓国名「韓国戦争」に於ける南北双方の犯した同胞に対する大虐
殺は凄惨なもので存ったと言われて居る。
北朝鮮には、蘇連ポルシェヴィズムの血に飢えた論理と、中共義勇軍の仮借無き蛮行の実
例に基づく「狂育」の扇動が有り、南の韓国、「国連軍」には、米国の人種差別主義に起
因する朝鮮人を人間扱いしない風潮が有り、然も、南北双方が朝鮮民族伝統の残虐行為知
識と感情的に興奮し易い民族性を保有して居た。
総ての虐殺条件が整った朝鮮半島で、昭和二十五年から同二十八年迄の三年間に如何なる残虐な蛮行が展開されたかは、南北双方の当時に於ける宣伝を回顧すれば明白で有る。
北の「金日成」、南の「李承晩」は、共に自国民に対する最悪の虐殺者で有った。
戦争当初、圧倒的に優勢な北鮮軍は、占領地で「人民裁判」なるものを行ないその土地の有力者や知識人等を虐殺した。銃弾がもったいないので撲殺が多かった。その様な見せしめにする「反動分子」以外にも、無数の「非協力者」が「人民裁判」さえ抜きで様々な方法で虐殺された。だが、彼等は、北鮮軍に占領される前にも李承
晩の命令で「北朝鮮のスパイ」「共産主義者」と言う無実の罪を着せられて虐殺の憂き目
に遭っているので有る。
後に、韓国軍と所謂国連軍が北進した時には、全く同じ発想から、北の人々は南北の軍
隊から同様に、それぞれ虐殺された。
人的損害、被害は、南北共に軍人の死傷者は百万人程度と推定されるが、民間人の死者は
四百万人とも言われる。当時の人口は、南北併せて三千万人程度と推定されるので、国民
の一割以上が死亡し、民間人死者の殆どが、南北両政権に依る虐殺で存る。非武装の弱者
で有る一般国民に対して「弱い者には強い」「事大主義」の民族性が招いた悲劇で存る。
当時、日本は外国軍の占領中で、GHQの検閲を許可された情報しか知らされ無かった。
だが、世界の各国は特派員を派遣する等して、数々の残虐行為の記録を集めている。その
様な資料を収集して「韓国残虐史博物館」を造れば、韓国人も少しは己の夜郎自大性に気
付くかも知れない。
(中共の暴虐、大虐殺は桁外れ)
-普通の国の人口が消える規模ー
支那の歴史は、暴虐と虐殺の故事に満ち溢れて居る。
「史記」に拠れば、秦の白起将軍は長平の野に趙の降伏した人民四十万人を坑埋めにし、
西楚の覇王講羽は、秦の降兵二十万人を同じく生埋めにした、と言う。
「白髪三千丈」の誇大表現を割引いても、かなりの大虐殺が実在した事は疑い無い。
但し、通常の場合は「三族」とか「九族」とか言って同族を根絶やしにする程度ー従者等
も含むーの場合が多かった。然し、動乱期には、大量の殺人が実行された。
近代に至って「一神教」及び「一神教的教義」が、支那に流入するや、まず「天主教」
を名乗る「太平天国(長髪賊)の乱」で大量虐殺が開始された。
「滅満興漢」を旗印にした同反乱軍は、クリスト教的厳格さで、清朝を支配する満州民族
と彼等に従う漢民族を大量に殺害した。一方、清王朝の軍は、反乱軍及びその疑いの有る
者は、捕え次第処刑した。
両者共に、敵の頭髪を視れば敵味方が瞬時に認識出来る。満州王朝やその支配を受容する
漢族は「弁髪」で有り、それを拒否、否定する洪秀全以下の太平天国では全員が「長髪」
で存った。故に、天国軍は攻略地の弁髪男を見付ければ、その多くを殺し、逆に清朝軍は
侵攻地で長髪を見付け次第、その首を斬って木杭や槍の穂先に刺して晒しものにした。
この時点で支那の殺戮は、「一族全員」と言う局部的な要素から「民族戦争」「宗教戦
争」の様相を呈し、性格を変え、その被虐殺者数も増大した。
更に、数十年を経て「ポルシェヴィズム(所謂、共産主義)」が「中国(共産党)」の名
を騙って支那侵略を開始するや、「階級闘争」の理念に拠って、更に虐殺対象を拡大する。
則ち、「一族」「一民族」「一宗教」を超えて存在する社会の特定「階級」が、絶滅、虐
殺の対象に比定されるに至ったので有る。即、「資本家階級」「地主階級」「封建的貴族
、王族階級」に所属、寄生、依存する者は、総て、人間社会から消し去らねばならない抹
殺すべき存在と規定されたので存る。
当然、抹殺されるべき「支配階級」は、自らの生命と財産を守る為に、支那伝来の残虐
な「見せしめ」手法で中共勢力を弾圧した。
正に「筆舌に尽くし難い」国民党や地方軍閥に依る中共系人民に対する蛮行を、現在の中
共政府は、日本軍に依るものと摺り替えて、歴史を偽造、捏造、改讒し、反日宣伝を執拗
に繰り返して居る。
国民党から権力を奪取する為に我「日本」を「悪用」すると言う「日本悪用戦略」は、実
質的に国民党が中共の敵では無く成った現在でも継続、増幅させて居る。
斯かる悪質、狡猾な中共は、勢力が弱い時には寛大に、勢力が増大するにつれて苛烈に
、勝利が確定的に成った段階では暴虐に、残虐行為を重ね、権力を奪取してからは、横暴
、凶悪な独裁権力を思いの儘に行使して、罪なき支那人民への大虐殺を連発して来た。
支那、満州の人民を保護して来た我皇軍の武装解除以後、民国山西省や満州で中共が「人
民裁判」なる名目で行なった資産階級、知識階級、日本人指導層への無数の虐殺、虐待数
は数百万人にも及ぶ。
昭和二十二年以後の中共に依る南侵過程での虐殺、暴虐行為は、内戦中の一過性の事件
として見過ごされているが、昭和二十四年、中共権力奪取宣言、所謂「建国宣言」前後の
中支、南支に於ける大虐殺の凄惨さは、香港、ヴェトナムに脱出した数百万、或いは千万
人を超えるかも知れない支那人難民の体験や報告から明らかで有る。
権力奪取以後、十年近く経った昭和三十三年に始まった「大躍進政策」は、結果的に、
「大虐殺政策」で存った。
農業の集団化を目指した中共、毛沢東の政策は完全に破綻して、農業のみならず工業、商
業等も壊滅的な打撃を受けた。その死者数は、従来、日本では二~三千万人と言われてい
たが、香港大学教授ディケーターの近著に依れば、「控え目に見積もっても四千五百万人
に達する」とされ、内、直接撲殺された者は、三百万人近く居たと言う。例えば、河南省
信陽地区の昭和三十五年だけでも百万人を超える非正常死者が発生し、その内、六万七千
人が民兵等に依る撲殺で存ったと言う。
ポルポト一派に依るカンボディア人への大虐殺の原形は、既に二十年前に、中共でより大
規模に実行して居たので有る。
「大躍進」四年間で中規模の国家の国民全員が餓死或いは虐殺された事に成る。
「大躍進」失敗で実権を奪われた毛沢東が、忠実な子分「林彪」を使って起こした権力闘争が、昭和四十年からの所謂「文化大革命」で存ったが、権力基盤の強い「劉少奇」一統を倒す為に、ありとあらゆる混乱を生起させて、国内は混乱を極め、敵味方の判別が着かなく成り、毛が権力を確立する迄に無数の人々が虐殺された。権力掌握の後も「資本主義への道を歩む実権派」や「蘇連修正主義の手先」への追求、糾弾虐殺は数年間に渡って続き、直接虐殺された者だけでも推定数百万人、多く見積もる者は千万人を超えると言う。
その後、平成元年に発生した「第二次天安門事件」は、実況放送の背後で銃声が聞こえ
たりして迫力は有ったが、殺された人数は精々数千人に過ぎず、中共に依る虐殺としては
小規模なもので存った。
だが、その後、特に「江沢民」政権以後、各地に「反日記念館」を濫造して、国民に計画
的、組織的な「反日洗脳」を実施して、日本軍に依る有りもしなかった「大虐殺」を強弁
する様に成ったのは、歴史の皮肉で有る。
吾等は、本当に存在した中共に依る大虐殺の数々を、中共に支配されて居る人々のみなら
ず、全世界に発信、啓発しなければならない。
(米英の大虐殺は、人類史上空前絶後の暴虐)
-憎悪と必要性から大虐殺を合理的、効率的に計画実行する西欧米の論理ー
中共の虐殺は、撲殺、溺殺、銃殺、絶食殺等々、単純粗暴なものが大部分で有るが、米
英等西欧米に因るそれは、より複雑高度な手法に基づいて行なわれる事が存る。
その典型が、広島、長崎への原爆を使用した大虐殺で存る。
米国は「戦争終結を早める為に」とか「米兵の生命を守る為に
」とか言い訳をして居るが、それは使用目的の極一部分に過ぎ
ない。
実際の目的は、新兵器の実験で有り、その破壊力や被害実態を
実際に確認、検証、研究し、より高度な核兵器開発を行なう為
の第一段階で在ったので有る。
その証拠に、両市には、ウラニウム型とプルトニウム型の二種
類の原料が使用されて居り、日本占領直後に調査団を派遣して
、その戦果、効果を詳しく調査、研究した。
調査団は、被曝者の治療に訪れたのでは無い。科学的な人体等への影響を調査する為に図
々しくも両市を土足で踏みにじったので有る。
通常であれば、或いは米国が国際法を守り、人道を重視する国で有れば、鼠やモルモッ
ト、家畜にしか出来ない実験を、戦争のドサクサに紛れて、米国は我国の婦人、子供、高
齢者を含む非戦闘員や財物、文化財等に対して、不法行為を行なったので有る。人類史上
、最悪、最速、最大の効率的な大虐殺、大破壊は、中共の様な単純幼稚なそれでは無い。
西欧米物質文明の基本に存在する高度の「破壊性」「非人間性」「悪魔性」の存在を如実
に物語っている。
日本及び日本人を実験台、実験動物に見立てた米国の非人間性、非人道性の否定無くして
人類の未来は無い。
又、昭和二十年三月十日の「東京大虐殺」は、米国、米軍の残虐性、悪魔性を露骨に証
明する対人類犯罪で有る。
当日未明、米国陸軍航空隊「第二十一爆撃機集団」に属する
二百七十九機のB二十九重爆撃機が、一千六百六十五噸もの焼
夷弾M六十九を、東京都江東地区に比較的低空から集中的、且
つ輪形的に投下した。
「関東大震災」で大量の焼死者を出した江東地区に、その事例
を悪用して、人為的な蛮行が繰り返されたので有った。
木と紙で出来た燃えやすい住宅の密集した地域に、出征兵士を
見送った婦人、子供、高齢
者しか居なく、防火能力の枯渇した社会的、気象的条件を狙っ
て、米国は大虐殺を実行したので有る。
従来は、爆撃機集団の司令官が、ハンセルからルメイに変わって、それ迄の精密爆撃か
ら無差別絨毯爆撃ー国際法違反の蛮行ーに戦略が変更されたと言われて来た。
だが、平成二十四年、日放協発行「ドキュメント東京大空襲」に依れば、既に大東亜戦争
初期の段階から、米国の日本都市爆撃の方針は決定されて居て、最も効果的な焼夷弾の開
発を、利益目的の石油資本からの提言で行なって居たとの事。
「真珠湾」で皇軍に完敗した米国、米軍は、その有色人種から受けた恨み辛みを晴らす為に、最も合理的且つ効率的、残虐な手段を科学的に開発、生産して居た。前出「大空襲」に依れば、ルメイやその上官で存ったアーノルドは、手紙や日記で、日本人の皆殺しを謀って居た事実が解かる。
昭和二十年六月十六日付アーノルドの日記の一節。「ジャップを生かしておく気などまったくない。
男だろうが女であろうが、たとえ子供であろうともだ。ガスを使ってでも、火を使ってで
も、日本人という民族が完全に[駆除]されるのであれば、何を使ってもいいのだ。」
ハワイ真珠湾に在る「アリゾナ記念館」の反日展示は有名で有るが、サイパンや沖縄で
の米軍の大半は、高等教育を受けたアーノルドと同等又はそれ以上に日本及び日本人に対
して敵愾心を有して居り、残虐行為を重ねていたので存る。にも拘らず、「GHQ反日体
制」の「反日洗脳」を受けて、例えば沖縄では、米軍は解放軍で、日本軍は虐殺者で存っ
た等と言う、事実と正反対の「狂育」が「日狂素」等に依って行なわれて居る。
その意味に於て、現在の偽日本社会は、精神文化的に「日本人という民族が完全に駆除」
された段階に達して居るとも言えよう。
このウソで固めた「歴史認識」「歴史観」「反日日本史」「
価値観」等々を打破するには、「東京大虐殺記念館」の建設と
国内外への積極的な啓蒙、啓発が、必要不可欠に成る。
前出、日放協の図書は、「GHQ、プレス・コード」の支配が
続いて居て、「大虐殺」とは書けないものの、第六章の表題は
「東京大空襲は計画的な無差別大量殺戮だった」で有る。
「無差別大量殺戮」を「大虐殺」と謂うのだが、日放協は未だ
に其処迄は言えない。
後一歩で有る。
(「GHQ反日体制」下に封殺、捏造、逆宣伝された「歴史的事実」を回復せよ)
(仮想現実ー所謂「ヴァーチャル」ーの活用)
ー吾等に採り易い手段を駆使すべしー
「反米」「反韓」「反北鮮」「反中共」「反蘇」の記念館、博物館を建設する事が、我
日本民族の独立と尊厳を恢復し、歴史的事実を国内外に闡明する効果的な戦略で有ると確
信するが、現実的には、その建設敷地、資金等々の獲得と施設維持の経済的能力は、非常
に不足、枯渇して居るのが現状で有る。
だが、第一の意義は「行動する事」「造る事」で有り、譬え集合住宅の一室で在っても
、その種の記念施設を造る事に意義が有るので存る。それは「GHQ反日体制」の支配下
での総ての「反日勢力」への「反撃」の明確な意志表示を意味する。
それは、正しく象徴的な意味合いを有する日本民族の義挙で有る。
然し、愚生も我国各地の博物館、資料館、記念館等々を多数見学して回ったが、その殆
どは開店休業の有り様で在った。
「GHQ反日体制」の下で愚民化された日本人大衆は、文化程度が下落して、精神文化的好奇心、関心等が希薄、低下して居る。
だが、一方では、列車に乗れば過半数の者が携帯電話を動かして居る。
遺憾ながら、その欧米物質文明の所産を活用する事が、反日メディアの言論統制、愛国言論弾圧を擦り抜けて、大衆を啓蒙、啓発する効果的な手段では無いかと愚考する。
所謂「インター・ネット」の仮想現実世界でその種の「博物館」「記念館」等を造成、建築、運営する事は、然程困難な事業では無いと愚考するが如何に。
西欧の博物館、美術館等では、その種の公開が流行し、昨今、パリのオペラ座さえも所謂
インター・ネットで見学出来ると言う。
この「仮想現実」空間で日本民族の正義、大義を闡明にする事は、実に有意義の活動で在
ると考える。
その具体的な能力と意志を保有せらるる同志、同憂、同勇の、積極果敢な戦線参戦を心よ
り祈念、歓迎、勧誘申し上げる。