葉月三日(日)午後一時より
第二百六十五回目の一日会が大阪府教育会館(たかつガーデン)で開催されました。
第一部 皇民 儀礼
東方 遥拝
国歌 斉唱
御皇統 御歴代 御名 奉唱
英霊 戦没者 先覚烈士の御霊に対し
奉り 黙祷
聖壽の弥栄 三唱
第二部 定例会
主宰者 挨拶
新参加者 自己紹介
資料紹介
活動報告、討議、活動予定等
天照大神 寶祚天壤無窮の神勅
(日本書紀巻二天孫降臨章第二の一)
「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、是吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)
たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し
ら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(
まさ)に天壤(あめつち)と輿(とも)に窮り無かるべし。」
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第三部 三十分講演
演題 「私の富国強兵論」ー日本列島は日本だけで守れー
講師 篠田 喜作先生(大和クラブ・会長)
全国的に日本民族復興の活動を展開されて居られる國士篠田先生より、
今回も愛國の至情、熱情溢れるご高論と、今後の具体的な方策に関して
ご提案を戴きました。
※八紘一宇…大東亜戦争中の大東亜共栄圏のスローガンの一つ。
平たく言えば、人類みな兄弟という意味。
しかしながら、時代背景も手伝って現代においては「侵略戦争のスローガン」
として、その意味を捉えがちな傾向がある。
その言葉の根源は日本書紀巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」で、意
味は天の下では全ての民族は平等である。天下を一つの家のようにしよう。
というものであり、日蓮宗から在家宗教団体国柱会を興した日蓮主義者・田中
智學が造語したと言われている。侵略的及び差別的な要素は一切ない。
以下は篠田先生による機関紙の転載です。
【大和クラブ回報二百十二号】
皇紀二千六百七十四年 西暦2014年
平成二十六年八月一日
日本の歴史と伝統と大和魂を伝承する
大和クラブ会長 国士 篠田喜作
『日本語を知らない広島原爆記念碑』
昭和二十年(1945年)八月六日朝、広島市に原子爆弾が投下されて、二十四万二千四百三
十七人が焼き殺された事は、小学生以上の日本人なら皆知っている。
私は今まで広島県下四十三ヶ所に講演に行った。お陰様で良い友人も沢山出来た。平成十
年二月には、広島平和記念会館大ホールにて約千人の前で二時間近く講演した事もある。
広島市の平和記念公園に、どう考えても訳の解ら
ん、立派な慰霊碑が建っている。
私が訳が解らんというのは、慰霊碑に刻んである
下記の文言である。
安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから
私がどう考えても、最後の文字が欠落している。
欠落しているのは「アメリカ合衆国大統領ハリー・トルーマン」の十八文字である。
折角立派な慰霊碑を建てても、肝心な名前が入っていなくては一体何の為の慰霊碑か分から
ないどころか、却って見学者と社会に間違った事実を伝えてしまう。
否、もう既に事実と全く間違った史実を伝え、このままでは今後も伝え続けていく事は明白
である。
このままでは日本人が「過ち」を犯した事
になる。この「文言」を考えたのは、広島
文理大学雑賀正義氏と聞く。
私は雑賀氏に会った事はないが、私に言わ
せたら、雑賀氏は「日本語」を知らないの
か、それとも知っていても意図的にこの文
言を考えたのか、どちらかである。
原子爆弾を落としたのはアメリカ空軍であ
り、命令したのは時の大統領トルーマンで
あり、日時を指令したのはマッカーサー司令官である。
そして、被害を被ったのは、善良なる広島市民である。広島市民は軍人ではなく、無抵抗で
ある。
日本は、不運にしてアメリカに敗れた。
広島、長崎の原爆投下は、日本が明らかに戦争終結を決断し、それに向かって行く途中に、
ルーズベルトとトルーマン大統領の野望によって強行された、天人共に許されざる非人道的
な巨大虐殺行為である。
謝るべきはアメリカ側であり、日本人こそ犠牲者であった。
誰が考えても一目瞭然である。今までにこの間違った碑文に抗議した運動家も何人かいたが
広島市は全然動いていない。
広島文理大学と言えば、戦前から長い歴史と伝統を持つ師範学校の上に立つ教師を養成して
来た東の東京高等師範学校に対して、西の高等師範学校とも言うべき、日本の学校教育の双
璧であった。
日本の歴史と文化と伝統を継承する重要な最高学府である。
そこの教授ともあろう者が、日本が自衛と大東亜共栄圏具現の為に天皇陛下以下総力を挙げ
て戦った大東亜戦争を「東京裁判」で占領国がデッチ上げた「侵略戦争」を使って「平和都
市記念碑」の美名のもとに、まるで日本が「過ち」を犯した如き碑文は「反日屈辱記念碑」
と言わざるを得ない。
大阪の三好誠先生は知る人ぞ知る文筆家
で熱烈な愛国者である。平成二十四年一
月三日夜、三好先生は広島市平和公園に
行き、「平和記念碑」の碑文にスプレー
で黄金のラッカーを吹き付けて文字を消
した。
この事は新聞でも報道されたが、私はま
さか八十歳近い高齢の三好先生が一人で
やったとは知らなかった。
同年十一月十三日朝七時、広島県警三十
人が吹田市千里山の三好先生宅を急襲し
た。
その時、三好先生は「少シモ騒ガズ」平然として、県警の護送車に乗り、JR新幹線広島
駅では二十人余りの各紙記者とカメラの放列を堂々と受けて留置場に収容された。
この頃から「三好先生を守る会」が有志によって結成され、署名運動と街頭宣伝が始まっ
た。
留置場と検察庁に護送される時も、三台のカメラが追い、その後「三好先生を守る会」街
宣車が三好先生の行動を支援した。
三好先生は「公共物破損」の罪で懲役一年六ヶ月、執行猶予三年の判決で裁判が終わった。
三好先生は、少しも衰えることなく元気で娑婆に出て来られて、その後もずっと今日に至
るまで、日本の名誉の為に「広島平和記念碑撤去運動」を行っている。
私が皆さんに言いたいのはここからである。
「三好事件」の後、広島市民の中から何の行動も起こらず、市民も県民も「平和ボケ」に
浸り、「過ちは繰り返しません」と言う、二十五万人の犠牲者の霊魂を冒涜する屈辱的な
碑文を今も尚、有難がって温存している卑劣な根性である。
毎年八月六日には広島平和公園で、八月九日には長崎で、盛大に慰霊祭が行われる。
この事は誠に大事な事であるが、そこでこそ「過ちは繰り返しません」等と言う腐った根
性は捨てて、あの時に若し、日本にも原子爆弾が一発でもあったらアメリカは絶対に広島
と長崎に原子爆弾を落とす事は出来なかったであろう戦争の現実を訴えるべきである。
同時に、地球上から戦争が無くならない限り、又中国、ロシア、北朝鮮が核兵器を持って
いる限り、日本も祖国を守る為には、已むを得ず核武装をしなくてはいけないと宣言すべ
きである。
建前だけの「平和宣言」には何の価値も無いし、犠牲者は少しも慰霊される事は無い。
慰霊祭の前に「間違った記念碑」を撤去しなくてはいけない。